「精神主義への過信」
藤原彰『餓死した英霊たち』より

Reading Journal 2nd

『餓死した英霊たち』 藤原彰 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第三章 日本軍隊の特質 – 1 精神主義への過信

ここより第三章「日本軍の特質」に入る。ここでは、大量餓死を招いた根本原因を「日本軍の特質」から考察している。
各節は、「精神主義への過信」、「兵士の人権」、「兵站部門の軽視」、「幹部教育の偏向」、「降伏の禁止と玉砕の強制」からなる。


大量餓死を生み出した根本的な原因には、日本軍隊特有の性質である精神主義への過信があった。もともと日本の軍隊は、武士道の精神を引き継ごうとして、天皇への忠誠と死を恐れぬ勇気を将兵に要求した。(抜粋)

著者はこのように節を書き始めている。日本はヨーロッパの徴兵制を採用したが、この徴兵制は、解放された農民を基盤とする国民国家の成立が前提である。しかし、明治維新以降も農民が十分に解放されなかった日本は、自発性を持った兵士を供給できる体制に無かった
そのため、厳しい日常の訓練と懲罰により兵士の忠誠と勇気を保証した。また、その服従を支えるためにも天皇への忠誠を柱とする精神主義が不可欠だった。

さらに、この精神主義は日露戦争によって極端に強調されることになる。
日露戦争では、砲兵火力の不足を銃剣突破でやっとの思いで勝利を得る。これを軍部は、火力の不足を精神力で勝ったと信じ込んでしまった。その後、この白兵突撃が「日本式戦法」となっていく。

「日本式戦法」とは、「歩兵の銃剣突撃至上主義という軍事思想」のことであり、「この後、アジア太平洋戦争にいたるまで基本的に日本陸軍を規定することになる」としている。これは物力よりも精神力を重視する考え方であり、兵力の多寡、装備の優劣よりも、精神力の差が勝敗を分けるのだとする。また食料の補給は二の次で、「武士は食わねど高楊枝」「糧は敵の借る」といった考え方が支配した。精神主義はまさに補給の軽視を生み出し、飢餓発生の原因となったのである。(抜粋)

このような精神主義、白兵主義については、加登川幸太郎『陸軍の反省(上・下)』、山田朗『軍備拡張の近代史』に詳しい。

日本では、「歩兵は軍の主兵」であるとし、白兵(銃剣)突撃が勝敗を決するとしていた。そのため他の兵器は、この白兵突撃を支援するのが任務であるとしていた。これは、逆に言えば火力の軽視であると著者は指摘する。

このような火力軽視の白兵主義は、火力装備のすぐれた近代軍隊にたいしてまったく通じず死体の山をつくることになる。しかし、第一線の実情を知らない参謀や高級司令官は、突撃を命じ続けた。

著者は、このような白兵主義にこだわった原因として次の二つを指摘している。

  • 日本の工業力が貧弱であるため、近代的な火力装備を備えることができなかったこと。
  • 補給輸送を軽視していたため、砲弾や弾丸の補給能力が低かったこと。

この節の最後に実際に著者が体験した白兵突撃について語っている。白兵攻撃で甚大な被害を負い、著者自身もその攻撃で負傷している。

白兵は火力にかなわないという教訓を、身をもって学んだのである。それはまた精神だけでは戦闘に勝てない、という教訓でもあった。(抜粋)

ここを読んで、さすがにビックリした。銃剣というのは、どちらかと言うと銃につけたアクセサリーぐらいな感じで、実際には撃ち合って戦っていたのだと思っていた。
ところが、銃剣を持って敵の陣地に突撃するのが、主戦法とのことだから、・・・・そら、勝てないは。(つくジー)


関連図書:
加登川幸太郎『陸軍の反省(上・下)』文教出版、1996年
山田朗『軍備拡張の近代史』吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)、1997年

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