『餓死した英霊たち』 藤原彰 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第一章 餓死の実態 – 5 孤島の置きざり部隊
太平洋戦争でアメリカ軍は、島づたいに侵攻作戦を行った。ここではアメリカ軍の進行を時系列に追っている。
このアメリカ軍は、島づたいに上陸作戦により主要な島で日本軍は次々と玉砕されてしまった。また、アメリカ軍が上陸しなかった島々にも日本軍の守備隊はおかれていたが、すでに制空権・制海権を握っていたアメリカ軍は無駄な犠牲を払ってこれらの島々を攻略する必要はないとして、そこを飛び越えて前進した。そのため、島々の日本兵は全く孤立してしまう。
この地域の島の多くは、狭小な珊瑚礁の島で、平坦な砂礫地で地味が悪く、農耕に適していない。中にはポナペ島やトラック島のような若干の山地がある島もあるが、ポナペ島以外は日本軍の大部隊を養うほどの農産物ができるわけはなかった。持って行った食料が尽きれば、後は餓死する以外の道はなかったのである。(抜粋)
大本営は、ミッドウェイ、ガダルカナルの敗戦で、制海権・制空権を失った後もこのような島々に大部隊送っている。著者はそのことを大いに疑問を呈している。
その後、これらの島々に送られた部隊を太平洋戦争の戦況と共に追っていき、次のように書き記している。
軍隊は持続的な補給がなければ生存することは不可能である。現地物資のない孤島に陸軍の大部隊を送り込んで補給をしなければ、餓死が待っているだけである。補給が困難なことがこれほど明白になっているのに、あえて孤島に大部隊を投入し続けた大本営の作戦担当者は、理性も判断力も失っていたとしか考えられない。(抜粋)
これら島々では四四年五月ないし八月には保有食料が尽きてしまい、その後の補給や現地での自活ができない状態のため、餓死を待つしかなかった。アメリカ軍は、日本軍に対してしばしばビラによる宣伝や降伏勧告を行い、現地島民の収容を行った。
ミレ島では、島民が最初に収容され、海軍施設部労働者が動揺し逐次一部の兵員に及んで陸軍兵四〇名、海軍兵五〇~六〇名が勧告に応じた。しかしそうなる前に日本軍は島民を圧迫し、虐殺事件を起こしている。日本軍は島にある椰子やパンの実を管理し、島民が勝手に食べると処刑したという。
・・・・・・中略・・・・・・・
島民処刑事件は他の島にもあり、ヤルート島では島民が米軍の度重なる宣伝で、「次第に米軍への逃亡意識を強め、逃げるために日本兵を殺害し、武器や船を奪うという事件が頻発した。警備部隊としては、これら逃亡扇動首謀者や警備員の殺害者、武器、舟艇の強奪者及びスパイ行為者に対して極刑をもって臨んだ」とされている。島民を処刑したり、朝鮮人労働者を殺して食べたという凄惨な事例が、これらの島で生じているのである。(抜粋)
以降は、メレヨン島、ウェーク島に取り残された守備部隊の飢餓の様子について詳細な解説を行っている。
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