「「一本の道」 — 画家になるまで」
木下長宏『ゴッホ<自画像>紀行』より 

Reading Journal 2nd

『ゴッホ<自画像>紀行』 木下長宏 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

I 牧者への夢 — 自画像以前の時代
1.「一本の道」 — 画家になるまで

プロローグを終わってここからは、「I 牧者への夢」に移る。この時代は、ゴッホは自画像を描いていないため、著者は「自画像以前の時代」と名づけている。今日の部分は「一本の道」、ゴッホが画家を志すまでの話である。


図4 「建物のあるポプラ並木」1884.10

ゴッホは、画家になるまでに幾つもの職を転々としている。まず本節では、ゴッホが画家になる前の話である。ゴッホが画家になる前の出来事などは、この前に読んだ『書簡で読み解く ゴッホ』の方が詳しいので、ここでは、細かいことがらは省いて行こうと思う。
著者はまず一枚の絵[図1「一本道」、1874年7月、鉛筆・紙]を示している。これはゴッホがまだグーピル商会に勤めていた時に、上司の娘に送ったスケッチブックに書かれていたものである。

画面の中央をまっすぐ奥に突き抜けていく、並木にはさまれた一本道をえがいたこの小さな絵は、ヴィンセント自身、自分が画家になろうとは想像もしていなかったときの絵である。しかし、この小さなスケッチには、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホが画家となってのち、最後までその画家人生に併走していくモチーフが描かれている。「一本道」である。(抜粋)

実際この「一本道」のモチーフは亡くなる年に描かれた「烏の群れ飛ぶ麦畑」[図2、1890年7月、油彩、カンヴァス]にも描かれている。

ゴッホは、画家になる前と後ではその世界観や人生観に大きな隔たりがある。その最も大きい違いは、キリスト教に対する信仰のありかたで、画家になる前は父のように牧師になりたいと願っていたが、画家になった後はむしろ反キリスト的になっている。

そんな、変化のなか、変わらず抱き続けていたのが、「一本道」のモチーフである。(抜粋)

ここで、著者はヌエネン時代にヌエネン時代に描いた「一本道」がモチーフの2枚の絵[図3「日没のポプラ並木」1884年10月、油彩・カンヴァス]、[図4「建物があるポプラ並木」、1884年、10月、油彩・カンヴァス]を示し、この「一本道」のモチーフにゴッホが重ねたものを、

道の果ての彼方になにかがあり、そのなにかを描きたいという思いである。(抜粋)

としている。

一人の青年が、もうじゅうぶん成年に達している年齢になってから、画家になろうと決心するには、それまでの人生に、そういう決断へと導いたいろいろな経験があった。
「一本道」のモチーフは、そのかなで最も大事に胸のなかで育んでいた思いと言えよう。(抜粋)

この後、ゴッホが画家になるまでをたどっている。特に女性との関わりとキリスト教の伝道師を目指すがそれを断念するまでの話である。
(『書簡で読み解く ゴッホ』のココ参照)


書簡で読み解く ゴッホ』では、ゴッホが亡くなってから弟のテオも半年後に亡くなったところで終わっていたが、テオ妻のヨーのその後について書いてある。ヨーのその後の人生は、ゴッホの作品と手紙を世に出すために尽くした。そして、膨大な書簡集の巻頭に掲載するために「フィンセント・ファン・ゴッホの思い出 — かれの義妹による」を執筆した。


関連図書:ヨー ファン・ゴッホ=ボンゲル(著)『フィンセント・ファン・ゴッホの思い出』、東京書籍、2020年
    :坂口哲啓 (著)『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』、 藤原書店、 2014年

図1「一本道」1874.7Searching now.
図2「烏の群れ飛ぶむぎ畑」1890.7http://www.vggallery.com/painting/p_0779.htm
図3「日没のポブラ並木」1884.10http://www.vggallery.com/painting/p_0123.htm
図4「建物のあるポプラ並木」1884.10http://www.vggallery.com/painting/p_0122.htm
図1-4

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