「あとがき」
坂口哲啓『書簡で読み解く ゴッホ』より 

Reading Journal 2nd

『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』 坂口哲啓 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

あとがき

あとがきでは、著者のゴッホとの出会いから話が始まる。著者とゴッホの出会いは、小学校4年か5年の図工の時間にまでさかのぼるという。ゴッホをまねた絵を先生に褒められたのに始まり、中学校では、兄の影響もありゴッホの画集をたくさん見るようになる。しかし、しだいに著者は文学のほうに興味が移りゴッホの事は忘れていったという。

さて、時代はずっと飛んで、数年前のこと、文学と宗教の関係についてずっと考え続けていた私は、たまたま一冊の本を読んだ、『イエスとはなにか』(春秋社)と題されたその本は、聖書学・思想・文学・美術・音楽の各分野を代表する研究者が、司会役の二人と鼎談するという形式を採りつつ、各分野におけるイエスがもつ意味、すなわち、イエスというひとりの人間が、その言動によって示唆している宗教の本質と、それに敏感に反応して創作活動を行った芸術家たちとの、ダイナミックスな関係が生き生きと語られていて、自分が漠然と考えていた事柄に明確な方向性を与えてくれる、大変興味深い本であった。そして、その中の美術の章で採り上げられていたのがゴッホなのだった。それを読んだとき、小学生の、あの初めて自画像を見たときの、なんとも不思議な「気持ち悪さ」としか言えないような感覚と、中学生の時に感じた「重苦しさ」が一挙に甦ってきた。(抜粋)

そして、著者は一旦文学の研究を止めて、ゴッホに没頭することになる。

その後、ゴッホと宗教の関連性に関する考察がつづき、序章にある「自我と愛と神」の三角形の話に移る。

ゴッホを構成しているのは、自我と愛と神の三つを頂点とする三角形である。利己主義にもなる強い自我エネルギーが、愛の力によって、人間や動物を含む、世界全体の苦しみや悲しみを感受する共感力へと変換される。そして、この共感力が極度の精神集中によって強まると、やがて忘我状態へと至る。このとき、宇宙の真理が透明になったゴッホの魂にスッと入ってくる。この瞬間、彼は一種の鏡になって、宇宙の真理を映し出す。それを猛烈な勢いでカンヴァスに写し取るのである。そうやって生み出された作品は、ゴッホが描いているというより、宇宙の真理が、ゴッホを通して顕現しているということもできる。(抜粋)

ゴッホの絵について、このように評した後、では私たちは、これらの絵をどのように見ればいいのかという問いが発せられる。
著者は、多くの予備知識を詰め込んでから見るのではなく、描いているゴッホと同じく無心に見るのだという。

ゴッホの絵を見ることは、それを鏡として、おのれの心を見つめなおすことにほかならない。(抜粋)

やっと読み終った。初回を書いたときは、「要旨をまとめる本でもないので、気に入った部分を抜き書きしながら読んでいこう!」と気軽に読み始めたのだが、意外や意外。じっくりとまとめながら読んでしまった。
あとがきを読むとわかるように文学者である著者がゴッホを宗教の関係を探りながら手紙を読み込みこの本にまとめたようである。序章で語られている、ゴッホを構成する自我と愛と神の三角形が全体の骨格になっていて、そのことが自然に納得できるような書き方になっている。


関連図書:荒井 献 (著), 岡井 隆 (著), 礒山 雅 (著), 吉本 隆明 (著), 木下 長宏 (著), 笠原 芳光 (編集), 佐藤 研 (編集)、『イエスとはなにか』、春秋社、2005年

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