「知っている古文の知らない魅力」 鈴木健一 著
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2006-06-12)
第四章 『おくのほそ道』-漂泊する人生
第四章は松尾芭蕉の奥の細道である。
おくのほそ道は芭蕉の紀行文であるが、どうして、彼がこのような旅にでようと思い立ったかは、本文冒頭に現れている。
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた、旅人なり。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふる物は、日々旅にして旅 を栖とする。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、 江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やや年も暮れ春立てる霞の空に、白川の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取るものも手につかず、もも引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里の灸すゆるより、松島の月まづ心にかかりて、住める方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家
面八句を庵の柱に懸け置く。
(月日は永遠にとどまることのない旅人であり、めぐり行く年もまた旅人である。船頭として船の上に一生を送り、馬子として馬のくつわを取って、老いていく人々は、毎日が旅であって、旅を自分の住み処としている。昔の風流人の中にも旅の途中に生涯を終えた人々が多くいる。私もいつの頃からか、ちぎれ雲が風に誘われて漂うように、漂泊の旅をしたいと思いが止まらず、海辺をさまよい歩き、去年の秋、隅田川のほとりの粗末な家に帰り、蜘蛛の巣を払って、やがて年も暮れ、立春の空お霞の立つ頃になると、白河の関を越えたいと思いに、そぞろ神が私に取り付いて心を狂おしくさせ、道祖神が招いているように思われ、何事もてにつかず、股引の破れを繕ったり、笠の緒を付け替えたり、灸のつぼである三里に灸をすえたりしているうちから、松島の月はどんなだろうとまず心にかかって、今まで住んでいた家は人に譲り、杉風(杉山杉風。蕉門の十哲の一人)の別宅に移った頃、
世捨て人のような私が住んでいたこのわびしい草庵にも、新しい住人が移り住んで、今度の人には家族がいて、弥生の節句には雛を飾るだろう。私はそのような安穏とした暮らしは捨てて、厳しい旅へと出発するのである。
これを発句とする表八句を庵の柱に掛けておいた。)(抜粋)
始めに段で、芭蕉は空間のみならず時間の中も旅すること、あるいはその時間こそが旅であることを述べている。
これは、中国・唐の詩人李白の次のことばを下書きにしている。
これ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり。
また、この冒頭は、芭蕉が唱えた『不易流行』という考え方につながっている。『不易流行』とは、「不易(永遠に変らないもの)」と「流行(時々刻々変化しているもの)」の両面性を兼ね備えていることが、芸術作品がその時代において価値を持つという考え方である。
著者は芭蕉の旅の目的を、自然に触れ合うこと、人間に出会うこと、古人の軌跡を確かめること、の3つを目的としている。
特に、三番目の古人に軌跡に関しては、おくのほそ道が西行法師のの足跡を追っていると指摘している。
西行と同じくその地に立つことができたという一体感による精神性の高まりは、江戸にいて西行に憧れているだけでは得られなかったものです。そのように西行を追体験することで、芭蕉は自らの詩心を掘り起こそうとします。
おくのほそ道は、求道的な要素を多く持っているが、他方において徘徊独特の滑稽さも併せ持っている。
必死に生きることの意味を求めようとした求道的部分と、肩肘張らずに滑稽さを追求して部分をバランスよく捉えることも、『おくのほそ道』という作品世界を把握する上で必要なことなのです。


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