[再掲載]「『枕草子』-自然を切り取る」
鈴木健一 『知っている古文の知らない魅力』より

Reading Journal 1st

「知っている古文の知らない魅力」 鈴木健一 著 
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2006-06-11)

第三章 『枕草子』-自然を切り取る

第三章は清少納言の枕草子である。
枕草子は、類聚るいじゅう的章段、随想的章段、回想的章段に分類される。

  • 類聚的章段は、「物は尽くし」形式の事で、関連する事物を列挙。
  • 随想的章段は、自然の情緒や人間への洞察を述べたもの
  • 回想的章段は、宮中での実体験を記したもの

枕草子には、伝統性非伝統性の理想的な結合の形が見られる。
それは、初段を検討することで確認できる。

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
夏は、夜。月のころは、さらなり、闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は、夕暮れ。夕日のさして山のいと近うなりたるに、烏のねどこへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛びいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫のなど、はた言ふべきにあらず。
冬は、つとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず。霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆびもて行けば、火桶ひをけの火も、白き灰がちになりてわろし。

(春は、曙。だんだんと白んでいく山際の空が、少し赤みを帯びて、紫がかった雲が細く横にたなびいているのがいい。
夏は、夜。月のある頃は言うまでもないが、闇夜もやはり蛍がたくさん乱れ飛んでいるのはいい。また、ほんの一つ二つなど、ほのかに光って飛んでいくのも、趣がある。雨など降るのも面白い。
秋は、夕暮れ。夕日がさして、もう山の端に落ちかかろうとする時に、烏がねぐらへ帰ろうとして、三つ四つ、二つ三つなど、急いで飛んで帰るまで、しみじみとする。まして、雁などの列を作っているのが、たいそう小さく見えるのは、とても趣がある。日が落ちてしまってからの、風の音や虫の音もまたいうまでもない。
冬は、早朝。雪が降っているよさは、言うまでもない。霜などがたいへん白く置いていても、またそうでなくてもひどく寒い時は、火などを急いでおこして、炭火を持って運んで行くのも、いかにも冬の早朝にふさわしい。昼になって、次第に寒気がゆるんでいくと、火桶の火も、白い灰が多くなってしまって、嫌なもの だ。)(抜粋)

この初段は、今では記述内容全体が権威ある物であるように思われるが、清少納言が生きていた当時の人々には、ある種の違和感を感じさせていた。
この文章は、当時の人に、伝統性と非伝統性の二つの要素が混ざっているように感じさせるものであった。
伝統性を感じさせるものは、

  1. 四季ごとにその時期特有の景物を列挙していること、これは、『古今集』が形作った歳時意識に則っている。
  2. 具体的な景物について、『古今集』、『万葉集』の伝統を踏まえて一般化したパターンに則っている事。

などで、景物の特徴が季節感と密接に結び付き、規範的な歳時意識を形成している。
そして、非伝統性を感じされるものは、

「夏の夜の闇の面白さ、雨夜の面白さ、烏の飛び急いでいる夕方の面白さ、雪も霜も降らない寒い冬の朝」といった、従来の美意識の主流からは外れたところにあるものの清少納言という一人の女房によって認定された美しさが・・・・(後略)(抜粋)

である。

枕草子は、新たな規範となり後代に影響を与えていく。
「春は、あけぼの」の影響力は絶大で、枕草子以降たびたび和歌に詠まれるようになった。
ここでは、「秋は、夕暮れ」を例に取り後代の影響を見ている。

平安中頃の清少納言が「秋は、夕暮れ」としたのに対して平安後期の清輔が秋は朝もよい とし、さらに平安末から鎌倉初期にかけての後鳥羽天皇が夕暮れは春と主張し、室町時代の宗祇がそれを称える。何百年もかけて、この人たちはラブコールを過去に向かって発信しつづけ、そのようにしてことばそれ自体が作品表現の中を旅していくのです。そして、私たちも、それを味わうことで悠久の時間の流れに一 体化できるのです。これこそ文学の醍醐味ではないでしょうか。(抜粋)

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