[再掲載]「『平家物語』-男性たちのドラマ」
鈴木健一 『知っている古文の知らない魅力』より

Reading Journal 1st

「知っている古文の知らない魅力」 鈴木健一 著 
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2006-05-25)

第二章 『平家物語』-男性たちのドラマ

第二章は平家物語。冒頭は、

祗園精舎ぎをんしやうじゃの鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花しゃらさうじゅの色、盛者必衰じやうしゃひつすいことわりをあ らはす。おごれる人も久しからず。ただ春の夜の夢の如し。たけき者も遂には亡びぬ。ひとへに風の前の塵におなじ。
遠く異朝にとぶらへば、秦の趙高てうかう、漢の王莽おうまう、梁の朱异しゅい、唐の禄山ろくさん、これらはみな旧主先皇のまつりごとにもしたがはず、楽しみを極め、いさめをも思ひ入れず、天下の乱れる事を悟らずして、民間のうれふる所を知らざりしかば、久しからずぼうじにしたる者共なり。
近く本朝をうかがふに、承平の将門まさかど、天慶の純友すみとも、康和の義親ぎしん、平治の信頼のぶより、此等は奢れる心も猛きことも、 皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは六波羅の入道さきの太政大臣平朝臣清盛公と申しし人の有様、伝へ承るこそ心も言葉も及ばれね。

(祗園精舎の無常堂に鳴り響く鐘の音は「すべての行いははかなく無常である」と知らせる響きがする。釈迦が入滅した時、白色に変ったという沙羅双樹の花の 色は、勢い盛んな者もいつか必ず衰えるという道理を示している。奢り高ぶって栄華を極めている人も、その状態が末永く続くわけではない。ただ、春の夜の夢と同じく、はかないものなのである。武勇を誇る者もついには滅んでしまうもので、風の前の塵と同じである。遠く外国に例を求めてみると、秦の趙高、漢の 王莽、梁の朱异、唐の禄山、これらは、皆もとの君主や先の皇帝の政治にも従順でなく、歓楽を尽くし、臣下の諫言かんげんも深く考えようとせず、天下 の乱れることも悟らないで、庶民の憂いも察知しなかったので、長続きすることなく滅亡してしまった者たちである。
また近く日本の例を探してみると、承平の平将門、天慶の藤原純友、康和の源義親、平治の藤原信頼、これらの人々は、その奢り高ぶった心も猛々しい振舞いも、皆それぞれにはなはだしかったけれども、ごく近い例としては、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申せられる方のありさまは、伝え聞いてみると、実に想像以上で、言葉で言い表せないほどである。)(抜粋)

まず「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」を考える。
祗園精舎は「祗樹給孤独園ぎじゅぎつこどくおんの須達長者の精舎」の略で、インドのジェータ(須達)長者が「祗樹園」と呼ばれていた庭園を買い取りそこに僧房を建てて、釈迦とその弟子に寄進したものである。
そしてそこで死が近くなった僧侶は無常堂に入る。

臨終の時になると、ひとりでに鐘の音が鳴り響き、次のように告げるのです。

諸行無常   諸行は無常にして
是生滅法   是れ生滅しょうめつの法なり
生滅滅己   生滅、滅しをはりて、
寂滅為楽   寂滅じゃくめつなるを楽しみと為す

(すべての行いははかなく無常で、
それを生あるものは必ず滅するとく道理によるものなのだ。
生と滅という二項対立を脱却し、
寂滅という、迷いの世界から解き放たれた静かな状態を悟ることこそ真の楽しみである。)

これを聞きながら、僧侶はやすらかに死を迎えるといいます。(抜粋)

次に「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」の意味は、「沙羅」という強く枯れることが無いとされる木でさえも、釈迦が入滅した時は、花はもちろん葉も幹も真っ白に枯れたという言い伝えから盛者必衰というものを象徴している。

平家物語で取り上げられている「祗園精舎」、「諸行無常」、「沙羅双樹」の言葉は、実は法然が作った『涅槃和讃』にすべて入っている。

跋提河ばつだいがの波の音、生者必滅を唱へつつ
沙羅双樹の風の音、会者定離えしやぢやうりを調ぶなり
祗園の鐘も今更に、諸行無常と響かせり

すなわち、平家物語の冒頭はオリジナルではなく、誰もがよく知り、感動できる言葉を用いることで物語の世界へ入っていきやすくしている。

壇ノ浦で平家が滅んだ後、京都で大地震が起こった。この原因として安徳天皇と平家一門の怨霊の祟りであるということが取りざたされた。そしてこの怨霊を鎮めるために怨霊供養がおこなわれた。

怨霊供養には、清盛を始めとする平家一門の悪行を「盛者必衰」と見なすことで、その魂を鎮めようとする姿勢が認められ、これが『平家物語』成立の契機ともなった可能性が指摘されています。

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