『続・日本軍兵士』 吉田 裕 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
3 離島守備隊の惨状 第3章 アジア・太平洋戦争末期 — 飢える前線
今日のところは「3 離島守備隊の惨状」である。アジア・太平洋戦争の戦局悪化により食糧生産は大きく落ち込んだ。さらに、食料の輸送が困難になり離島などでは食料自活の方針となる。そのような状況で栄養失調による死者が増え、さらに食料を巡る日本軍内の争いまで起こる事態となる。それでは、読み始めよう。
「自給自足の態勢」強化の指示
アジア・太平洋戦争の戦況の悪化に伴い、食料生産は落ち込み国民一人当たりの熱量供給量も低下していった。それに伴い、軍隊の給養も悪化していった。
こうしたなかで、陸軍兵士の体力は減退し多くの栄養失調者を出す事態になる。そして、各部隊に自給自足の態勢の強化を指示するまでになった。内部部隊では、主食・野菜・肉類の所要量のうち、それぞれ一〇%、三〇%、五%を各部隊の農作業により取得することが指示される。
内部部隊は、本土決戦に向けて陣地構築や訓練を行いつつ、農作業にも従事しなければならなかった。これは、そもそも実現不可能な要求だった。(抜粋)
不十分なままの海軍の給養
この時期の海軍の給養については、具体的なデータが見当たらないとしている。そのため、幾つかの間接的な事案についての紹介に留まっている。
まず給糧艦については、「間宮」につづき「伊良湖」がアジア・太平洋戦争直前に完成されただけで、その後は小型の給糧艦の建造に留まっている。そして、海軍では、冷凍魚などの冷凍食品の購入を積極的に進めていたが、その冷凍食品の生産は、戦争末期には、かなり減少していた。また、戦争末期には、海軍においても「不馴化性全身衰弱症」などの栄養失調が深刻になった。
さらに原文を確認できないが、敗戦直前の一九四五年八月一日には、「カロリーを消費しないよう意味のない動作、駆け足などをしないこと」などを求めた海軍次官の通牒がだされているという(『真珠湾攻撃でパイロットは何を食べて出撃したのか』。)(抜粋)
兵員の体力劣化、栄養失調による死者
米軍により制空権・制海権を完全に掌握されると、補給が途絶えた戦線後方に取り残された島々では、守備隊の飢えが深刻な問題となった。そして栄養失調による死者が続出する。
食糧不足に悩まされた離島の守備隊では、「現地自活」の方針を掲げのうちの造成と食糧増産に力を注ぐ。しかし、上級指令部が戦闘第一主義の立場に立って、戦闘訓練を優先させたところでは、この食糧増産が立ち遅れた。
違法な軍法会議と抗争
飢餓が深刻になると、限られた食糧をめぐり対立や争いが起こった。兵士による盗み、強奪、強奪を防止する実力行使などで、陸海軍内部に対立や抗争が起こった。
そして、盗みや強奪をする兵士に対し「厳重処分」(死刑)が各地で行われた。これは正式な軍法会議をへず「略式裁判」によって、殺害している例も少なくない。
食糧をめぐる陸海軍の対立
ニューギニアでは、組織的な食料の強奪が行われ、陸海軍の守備隊が同じ島に駐屯していたミレー島では、陸海軍の間で食料を巡る対立が勃発した。飢えに苦しむ陸軍の兵士が、比較的食料を備蓄していた海軍の食料を盗もうとしたのである.。


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