[再掲載]『知っている古文の知らない魅力』
鈴木健一 著

Reading Journal 1st

「知っている古文の知らない魅力」
鈴木健一 著 講談社(講談社現代新書Y700) 2006年 700円+税
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2006-05-23)

はじめにー「徒然草」を手がかりとして

本屋さんで、立ち読みして面白そうだったので買ってきた。
今日のところは、「はじめに」。徒然草の冒頭を例にとって本書の目的を説明している。

まず 徒然草の冒頭は、

つれずれなるままに、日ぐらし、すずりにむかひて、心うつりゆくよしなごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしくこそものぐるほしけれ。
(これとってすることがないのにまかせて、一日中、硯に向かいながら、心に次々と浮かんでくる、とりとめないことを、あてもなく書きつけていると、不思議にわけのわからない気分になってくる。)(抜粋)

である。では、この冒頭はすべてを兼好個人の考えついたものかというと、実はそうではない。

徒然草より三百年前に書かれた、和泉式部の歌集の詞書ことばがきには、

つれづれなり折、よしなしごとにおぼえし事、世の中にあらまほしきこと。
(これといってすることがない時に、とりとめなく思いついたこと、世の中にあってほしいと思うこと<を詠んで>)(抜粋)

の文がある。徒然草の冒頭は先行した文学作品を取り込んでいるものであるのである。

現代ならこれは個性に乏しいという事になるかもしれないが、古典文学では、先人の用いた言葉を取り込むことで表現が豊かになるという考え方が支配的であった。

この本では

  • 文学作品は、過去の作品表現の集積によって成り立っている。すぐれた作品はその上に新しい価値を付加したものだ。
  • すぐれた文学作品が生み出されると、それが新たな規範になって、後代の作品表現の形成に影響を及ぼす。

の2点について、考える。

本書では「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に」「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」などといった、読者の方々がよくご存知の有名作品の冒頭を主に挙げて、以上述べたことを論証していきます。
そのように、ひとつの表現が作品から作品へと旅をしていく魅力、いわば表現の連鎖の面白さを、本書ではじっくりと味わってください。(抜粋)

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