説教者エリフ
浅野 順一 『ヨブ記 その今日への意義』より

Reading Journal 2nd

『ヨブ記 その今日への意義』 浅野 順一 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

附 説教者エリフ

前回の「結語にかえて」で、本書としては終了したが、その後に本書でなども言及のあった「説教者 エリフ」を附している。これは、青山学院大学文学部「紀要」(No.11)に載せたもの再掲載である。そして、最後に簡単な「あとがき」があり、本書の成り立ちと著者がどのような状況で本書を執筆したかが書かれている。それでは読み始めよう。


この部分は、「一三 苦痛による救い」(“その1”、“その2”、“その3”)と重複する部分が多い。

一 エリフの登場

ヨブ記の三二-三七章にエリフが登場する。彼はヨブと三人の友人との対話ダイアローグの後に登場するが、それは全くの独白モノローグである。

他の友人の名の意義は判然としないが、エリフの名の意義は「わが神は彼である」あるいは「彼はわが神である」と解される。

ヨブはウヅの人であるが、友人はどの国の人がはっきりとしない、しかしエリフは名前からするとへブル人的である。また、彼の説教の中で語っている信仰や思想は、基本的に伝統的である。そして、「わたしは年若く、あなたがたは年老いている」といっているように、他の友人より若輩であった。

エリフが何故登場したかというと、ヨブが「自分の正しいことを主張し、三人の友人はヨブに答えるのをやめた」から、さらに「ヨブが神よりも自分の正しいことを主張するので」からである。

要するにエリフはヨブが友人に対して自己の正しさを主張するのはまだしも神よりも自己を義とすることに対してもはや我慢がならなかったというわけである。(抜粋)

エリフはヨブの傲慢に対し、友人たちがヨブを説得できなかったことに対し激しい怒りをもって説教を始めた。

二 エリフの立場

エリフも他の友人と同じく、原則的には伝統的な賞罰の教義の上に立っている。ただ、彼は、ヨブの「高ぶり」の罪を指摘している点、人間の苦悩の中には、救済的意味があると説く点などの特色がある。

ここでは、彼が如何なる内容の説教をしたかではなく、どういう人間的立場において説教をしたかについて注目する。

彼は、「老いた者、必ずしも知恵があるのではなく、年とった者、必ず道理をわきまえるのではない」と公言している。ここで、年齢と経験とが真の認識、知恵を与えるものでないというのであれば、彼は何によってそれを得たのであろうか?エリフは、「霊、それは人の内にあり、全能者の息が人に悟りを与える」と言っている。つまり、彼は、年齢や経験の如何が知恵を与えるのではなく、「全能者の息」が悟りを与えるのであると言っているのである。すなわち彼の知恵は霊的直観によるわけである。

この霊的直感は、エリフ独自のものではないが、年著者の他の友人たちに対して、自分が主張するのにあたり、彼はこのような立場に立って「わたしに聞け、わたしもまたわが意見を述べよう」といっている。

三 エリフ説教

エリフは、「わたしはあなたがたの言葉をもって答えることをしない」と言って、他の友人たちと区別をした。そしてエリフの説教の特徴は

  • a. ヨブの罪の最大のものは「高ぶり」であると指摘したこと
  • b. 苦痛には人間を罪から浄化する力を持ち、苦痛は神の試練というだけでなく、訓練であり、救済的意味があるといったこと

である。しかしエリフの立場は他の友人と根本的に異なる者でなく、彼も伝統的賞罰の教義の上に立っていた。そのため彼もヨブを説得できなかった。

ここで著者は、「われわれは知恵を見出した。彼に勝つことのできるのは神だけで人にはできない」というエリフの言葉を問題にしている。

この言葉の原文は「彼に勝つ、人にあらず」であるが、ここで「勝つ」は、「征服する」が一番妥当である。そこでこの「征服」はどのような意味であるか?

ヨブ記においては、ヨブと友人との対立があり、ヨブとエリフの間にも別の対立があった。そもそも神とヨブが分裂し、そこに彼の悲劇の根源がある。この悲劇がどのように解決されるのか?

そこで、「彼に勝つ」の原文は「我らに勝つ」或は「我らを征服する」とも読みえる。そのため、ヨブのみが征服されるのではなく、友人も含むすべての者が神に征服され、神のみが勝利する、という意味に解せる。そして、その時ヨブの問題が根本的に解決する。

そしてそれが可能となるために、ヨブ記でしばしば触れられる「仲保者」(「仲裁者」「証人」「保証者」「贖うもの」)の存在がある。ヨブ記は神の呼びかけによりヨブが全面的に懺悔し人間の無知を告白するが、そこに至る道にヨブと神の間の「仲保者」が仲立ちしている。それなくしては神とこの分裂の世界は和解できない。

キリスト教会の伝統的な解釈として、ヨブ記の「贖う者」が、イエス・キリストの予告であるというのがキリスト教会の伝統的な解釈である。この解釈に、賛成できなくとも「贖うもの」の中保的性格が、対立する者を再び一つする和解者の意味に解することができると言える。

その意味において、エリフが、霊的直感の立場に立ち、年齢と経験に頼らずして直接的な神を示し誇りやかに語っているにもかかわらず、ヨブ以外には友人たちの触れなかった中保の問題に言及していることは暗示ふかきことと思われる。(抜粋)

あとがき

最後の、この本が出来た由来と著者がどのような状況で執筆したかが書かれている。

本書は、NHKの「古典講座」として語ったものをテープから筆記して書き直したものである。そして、そのテープは、放送の始めの三回を除いて、病床にて録音された。その放送は、多くの人々に反響を呼び、そして一冊の書物にするようにという要望があった。それに応えるため、著者の健康がやや回復したあとに書き綴り完了したものである。

このヨブ記の解説を出版するにあたっては、キリスト教界のみならず、なるべく広い範囲に読んでもらうために岩波新書の一冊として刊行された。

[完了] 27

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