[再掲載]「作者素描」4
内藤 濯 『星の王子とわたし』より

Reading Journal 1st

「星の王子とわたし」 内藤 濯 著 (読了07)
[Reading Journal 1st:再掲載]
(初出:2007-03-08)

作者素描 晩年と死 あとがきー多彩な星ー 石森延男

一九四三年にはサン・テグジュぺリは四十三に達していた。当時西ヨーロッパ軍を牛耳っていたアメリカ軍はパイロットの停年を三十五歳としていたため彼は、飛行機に乗ることができなかった。
しかし、彼はルーズベルトの北アフリカ特使ロバート・マーフィーに嘆願してようやく偵察飛行の任をえる。しかし、二度目の偵察飛行において些細なミスから機体をわずかに損傷した。これを口実にアメリカ軍は彼に飛行機の操縦を禁止してしまう。
これはサン・テグジュぺリに大きな打撃を与えた。気分が落ち着かなくなり気やみの病人になってしまった。そのころ彼は常軌を逸していた。
しかし、一九四四年の春、地中海連合航空隊長イーカー将軍の好意により、また偵察飛行を許された。

イーカー将軍の特別な取りなしで、サン・テグジュぺリに許された五度の偵察飛行は、奔走に次ぐ奔走の苦慮はあったにしても、空を飛ぶ持って生まれた高度の情熱が何より効を奏して九度目になった。

九度目の偵察飛行はリオン東方偵察であった。

この地方の空は、すでに一度飛んだことがあった。なぜならその方面に、生い育ったサン・モーリスがあり、ほとんどおなじ道筋に、コンスエロと結婚したアーゲがあるからだった。

そして、サン・テグジュぺリは二度と飛行場に現れることはなかった。

今日になってもまだ、サン・テグジュぺリの死の事情は知られていない。事故の犠牲になったのだろうか。それとも敵機に撃墜されたのだろうか。航空士についても、搭乗機についても、なんの跡形も残っていないのである。

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