「ニューギニアの第十八軍」(その1)
藤原彰『餓死した英霊たち』より

Reading Journal 2nd

『餓死した英霊たち』 藤原彰 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第一章 餓死の実態 – 3 ニューギニアの第十八軍(前半)

前節のようにモレスビー攻略戦の失敗で、多大な被害が出たのにも関わらず、大本営は、ニューギニア島で攻勢をとり、モレスビーを攻略することを諦めなかった。飢死にの実態の3つ目は、その後に編成された第十八軍のニューギニア島での惨状である。


先に述べたように、大本営はニューギニア島で攻勢をとり、モレスビーを攻略する為に、第十八軍(陸軍)と第九艦隊(海軍)を東部ニューギニア島で編成し十四万八〇〇〇人の大兵力を送り込む。そして、そのうち戦後の生還者は一万三〇〇〇人に過ぎず、実に十三万五〇〇〇の戦没者を出した。

著者は、ここで、戦後、残存将兵の帰還などの戦後処理の後に、戦没将兵の後を追って自決した第十八司令官安達二十三中将の遺書を引いている。そしてその後、次のように大本営を批判している。

安達中将はこうして指揮官としての責任をとり、戦没部下将兵に殉じたのである。しかし東部ニューギニアで一三万五〇〇〇人もの犠牲者を出した責任は、第十八司令官よりも、第十八軍をここに投入して見殺しにした側にあることは明らかである。現地の実情や戦力の状況を無視して無謀は計画を立て、その後に大部隊を餓死させてしまった大本営、とりわけ作戦担当者の責任は重いといわなければならない。(抜粋)

大本営は、ニューギニア島の地誌についてほとんど情報を調査せずに作戦を決めていた。本州の三倍半あり全島熱帯性の密林でおおわれているニューギニア島で、軍隊が中国戦線と同じように行動できるという前提で作戦を立てていた。
実際に大本営はまったくニューギニアの地形を知らず地図だけで作戦を考えていた。

大本営は、白紙戦術のような指導をしたといえる。また、補給を軽視する風潮は陸軍大学校の教育が誤っていたのだと思う。(抜粋)

と今村第八方面軍司令官は、のちに語っている。

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