ガリレオの「自然は書物である」
イタノ・カルヴィーノ 『なぜ古典を読むのか』 より

Reading Journal 2nd

『なぜ古典を読むのか』 イタノ・カルヴィーノ 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

ガリレオの「自然は書物である」

前回は、順番をちょっと飛ばして「『ロビンソン・クルーソー』、商人が守るべき特性についての帳簿」の部分をまとめた。そして今回は、ちょっと戻って、でもやはり手ごわそうな「『狂乱のオルランド』の構造」と「八行詩節の小さなアンソロジー」は飛ばして、「ガリレオの「自然は書物である」」をまとめることにしました。

ここでは、ガリレオの「自然は書物である」という言葉を手掛かりに、そのアルファベットが幾何学や数学であること、そして完全なものと不完全なもの高貴性について、さらに本当の対立は、不動性と可動性にあることなどを考察している。それでは読み始めよう。

「自然は書物である」

ガリレオ[一五六四 -- 一六四二]が書いたもののなかで最もよく知られた --- そして、あたらしい哲学の萌芽をやどしている --- 比喩は、自然は数学の言語で書かれた書物であるという、あれだ。(抜粋)

ガリレオは、哲学は宇宙(世界)という書物に書かれている、そして、それは数学という言葉で書かれている、と言っている。数学という言語の文字は三角形や円などの幾何学的図形である。

このように、世界を書物のイメージでたとえ人は中世より数多く、長い歴史がある。

ガリレオは、直接的読書(世界という書物)間接的読書(アリストテレスという書物)を対置している。アリストテレス派の人は、アリストテレスの書いたものを熟知するように教育されたあげく、アリストテレス以外に哲学はないと信じている。そして、どのような問題に対しても、アリストテレスの著作から言説を集めて証明するように訓練されている。自然の中の世界の書物に書かれていることもアリストテレスだけで理解しようとする。

自然(宇宙)の書物のアルファベット

ガリレオがもたらした、世界は書物であるという比喩による貢献がなにより革新的なのは、それが独自のアルファベット --- 「それが書かれた文字」 --- に着目している点にある。すなわち、真に比喩的つながりが、書物と世界つながり、というよりは、むしろ、世界とアルファベットのつながりにあるとする点があたらしいのだ。(抜粋)

アリストテレスやオウィディウスの本を勉強すれば、あれこれ母音と子音を組み合わせる、順番に並べることができる人は、この本の中にあらゆる疑問について正解を見つけることができる。

しかし、ガリレオがアルファベットについて語るときは、それは宇宙の多様性について説明できる組み合わせである。そして、ガリレオにとっては、数学とくに幾何学がこのアルファベットの機能を果たすものである。哲学の本は我々につねに開かれているが、それは我々の使っているアルファベットと違う文字を使っているために、すべての人が読めるわけではないのである。

幾何学的な形態と自然の形態の高貴さについて

ここで著者は、ガレイレオがケプラーを読んでいるにもかかわらず、アルファベットの一つに楕円を挙げていないと指摘している。そしてこれは、彼の組み合わせ論がより簡単な図形から出発する必要があるからであるか、それともプトレマイオス的思考を非難している彼自身もまだ均衡、完璧というような古典的概念から抜けきっていないのか、と問うている。

この自然という書物が書かれたアルファベットの問題は、形態の「高貴さ」につながっている。ガリレオは

規則ただしい幾何学的形態は、経験にもとづいた、凹凸のはげしい自然の形態よりも、はたして、より〈高貴〉、より〈完璧〉だといえるのか。(抜粋)

と考え、プトレマイオスのように円や球が「高貴」だとすることに疑問抱いている。

幾何学の味方としてのガリレオは、幾何学的図形が優れている理由を支持しなければならないが、自然観察者としての彼は、抽象的な完全性の概念をしりぞけて、アリストテレス派的、すなわちプトレマイオス的宇宙論の純粋な天の概念に対して、「山に被われた、起伏の多い、凹凸のある」月のイメージを提出して見せる。(抜粋)

ガリレオは、球体が馬やイナゴなどの自然のままの形態より、なぜ完全でなければならないのかと疑問を抱いている。

不動性と可動性の対立

『対話』中、もっとも美しく、もっとも重要な箇所のひとつは(第一日目)、変化、増殖が行われる場所としての地球への賛辞だ。(抜粋)

ガリレオは、決して動かず、変容も変質もしない存在を完全とし、変質したり、発生したり、変容も可能な存在を不完全とする意見に反対している。そして、地球がその中でたえず変質、変容、発生が生まれているからこそ、高貴であり感嘆にあたいすると考えている。そして反対に、何も変わらない巨大な水晶のような地球であったら、そこには何も生まれず、変質も変容もせず、もはや有用性もない天体でしかない。同じことは月や木星などの他の天体にも言えることである。

自然という書物のアルファベットに関する話を、この小さな数々の変質や変容の賛美につなげてみると、真の対立は不動性と可動性のあいだにあると思われる。・・・・中略・・・自然という書物に見られる幾何学的、あるいは数学的アルファベットというは、それらの言語が最小の構成要素に分類され得るところから、あらゆる働きと変化の形態を表示し、不変の天体と地球の自然力とのあいだに存する対立を消滅させる能力を基本とするものではないか。(抜粋)

ここの部分、『対話』としか書いてないのだが、調べるとガリレオには、『天文対話』と『新科学対話』と二つの『対話』がある。さて?どっちだ?と思ってgoogleに「新科学対話と天文対話 どっちが有名?」って聞いたところ。AIが「知名度という点では、ガリレオ・ガリレイの『天文対話』の方が遥かに有名です」とのことでした。(つくジー)


関連図書:
ガリレオ・ガリレイ(著)『天文対話』(上)(下)、岩波書店(岩波文庫)、1959年、1961年ガリレオ・ガリレイ(著)『新科学対話』(上)(下)、岩波書店(岩波文庫)、1937年、1948年

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