『陰翳礼讃・文章読本』 谷崎 潤一郎 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
西洋の文章と日本の文章(前半) — 一 文章とは何か
今日から、「西洋の文章と日本の文章」に入る。前回の「現代文と古典文」(“前半”、“後半“)では、わかりやすい口語文を書くためにも、古典を学び、その長所を取り入れるべきであることが論ぜられた。
そして、「西洋の文章と日本の文章」では、西洋語と日本語を比較すると、日本語は語彙が少なく文法構造が貧弱であるため、修飾を幾重にも重ねて厳密に表現するのは、不得手であることが示される。しかし、日本語は語に幅を与え含蓄を重視するなどの良さがあり、それを知って十分に生かすことが大切であることが説明されている。
「西洋の文章と日本の文章」は、二つに分けてまとめることにする。それでは読み始めよう。
西洋語の吸収について
古典文と同じように欧米の言語文章を研究して、その長所を取り入れる方がよい。しかし、谷崎は、
言語的に全く系統を異にする二つの国の文書の間には、永久に踰ゆべからざる垣がある、(抜粋)
とし、明治以降の西洋文化の吸収を考えると
今日の場合は、彼の長所を取り入れることよりも、取り入れ過ぎたために生じた混乱を整理する方が、急務ではないかと思うのであります。(抜粋)
と言っている。
漢語の吸収と和漢混合文
昔の漢文の吸収を考えると、我々の祖先は漢語を学び和漢混合文と云う新体を作ったが、それ自体は漢文の語法ではない。漢文を読み下すために、多少無理な、新奇な言い回しを考え出したが、結局日本語の範囲を出ないものであった。
況わんや関係の浅い西洋語が、そう易々と取り入れられるはずはないのであります。(抜粋)
漢語と西洋語からの語彙とその弊害
日本語の欠点の一つが言葉の数が少ないと云うことである。そのため古来より、漢語を吸収し語彙を補ってきた。そして、今日では、西洋語をそのまま日本語化(「タクシー」「ガソリン」など)したり、漢字を借りて西洋言語に当てはめたり(「形容詞」「科学」「文明」など)して西洋語を翻訳している。
谷崎は、漢語の上に西洋語、翻訳語を取り入れて語彙が豊富になったが、それは善いことばかりではないと言っている。
われわれの国語は俄かに語彙が豊富になりましたが、既にたびたび申す如く、そのためにあれわれはあまりにも言葉の力に頼り過ぎおしゃべりいなり過ぎて、沈黙の効果を忘れるようになりました。(抜粋)
日本語と日本人の国民性
この語彙が少ないという日本語の特性は、西洋や中国に劣っていると云うことではない。それは、
我等の国民性がおしゃべりでない証拠であります。(抜粋)
この能弁を良しとしない国民性について、
古来支那や西洋には雄弁を以て聞こえた偉人がありますが、日本の歴史にはまず見当たらない。その反対に、我等は昔から能弁の人を軽蔑する風があった。(抜粋)
とし、日本の文化は、西洋や中国ほど言語の力に頼らない、弁舌の効果を信用しないと言っている。さらに谷崎は、その原因として、われわれが正直な国民性を持つからだとしている。
日本では、物事を内輪に見積もり、十の実力があっても七か八しかないように謙遜するが、西洋では十のものを十というのに何も遠慮や気兼ねをしない。彼らからすると我々の謙遜は卑怯でもあり、あるいは不正直でもある。
上に述べたような国民性を考えますと、われわれの国語がおしゃべりに適さないように発達したのも、偶然でないことが知れるのであります。(抜粋)
このように国語の長所短所はその国民性に根差している。そのため
国民性を変えないで、国語だけ改良しようとしても無理であります。(抜粋)
ここで著者は、西洋語は、「沢山の言葉を積み重ねて伝えるように出来ている」が、日本語は「少ない言葉で意味を伝えるように出来ている」と西洋語と日本語の違いを指摘している。

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