『陰翳礼讃・文章読本』 谷崎 潤一郎 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
言語と文章 — 一 文章とは何か
前回の“[レビュー] 『陰翳礼讃・文章読本』”のところに書きましたが、この本の「陰翳礼賛+α」を[レビュー]枠に、そして、ここから「文章読本」を[読書日誌]枠としました。
本日より、少しずつまとめながら読んでいこうと思います。今日のところは、簡単なまえがきと、言語と文章の話である。それでは、読み始めよう。
はじめに
この読本は、いろいろな階級の、なるべく多くの人々に読んで貰う目的で、通俗を旨として書いた。(抜粋)
谷崎はこの容易『文章読本』をはじめている。他に谷崎はこの読本を専門家や文人向けの本でないことを断ったうえで、
文書を作るうえで最も必要な、そうして現代の口語文に最も欠けている根本の事項のみを主として、この読本を書いた。(抜粋)
と、している。つまり「われわれ日本人が日本語の文章で書く心得」を記したと言っている。
言語について
「自分の思うことを人に伝える方法」には、言語を含めていろいろな方法があるが、その一つとして言語があるが、細かい思想を明瞭に伝えるには言語に依るしかない。また、ひとりで物を考える時も我々は言語を使用している。そうしないと自分の思っていることがはっきりせずに纏まらない。
されば言語は思想を伝達する機関であると同時に、思想に一つの形態を与える、纏まりをつける、そう云う働きを持っております。(抜粋)
このように言語は、非常に便利なものだが、言語を以て表白出来ない思想や感情はないと思ったら間違いである。簡単なことでも言語に言い表せないこともあり、そういう意味で言語は案外不自由なものでもある。
また、言語には、思想に纏まりをつけると云う働きがある一方、思想を一定の型に入れてしまうと云う欠点もある。
言語は万能なものでないこと、その働きは不自由であり、時に有害であることを、忘れてはならないものであります。(抜粋)
文章について
言語を文字で示したものが文章である。言語と文章はもともと同じものであり、言語に文章を含めることもあるが、
同じ言葉でもすでに文字で書かれる以上は、口で話されるものとは自然違って来ないはずはありません。(抜粋)
口で話す場合は、声音とか、言葉と言葉の間、眼つき、身振、手真似などが入るが、文章にはそう云う要素はない。しかし、文字の使い方などいろいろな方法でそれを補うことができる。
なおまた口で話す方は、その場で感動させることを主眼としますが、文章の方はなるたけその感銘が長く記憶されるように書きます。(抜粋)
そのため、口でしゃべるのと、文章を書くのは別の才能に属し、話の上手な人が必ず文章が巧いと云うわけではない。


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