『なぜ古典を読むのか』 イタノ・カルヴィーノ 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
天、人間、ゾウ(後半)
今日のところは、「天、人間、ゾウ」の”後半“である。”前半“に引きつきカルヴィーノによるプリニウスの『博物誌』の世界が語られている。ここでは、その膨大な記述の中に科学や人類学の萌芽を見出している。それでは読み始めよう
プリニウスの『ギネスブック』
生物としての人間を定義するには、常に限界を意識しなければならない。(抜粋)
そのためプリニウスは現代の『ギネス記録ブック』のように、あらゆる記録を巻7に集めた。重量を持ち上げる力、競争における速度・・・・・、そして中には度肝を抜くような記録もある。そして、
比較できない「幸福」と、死という限界
人生経験のなかでひとつだけプリニウスが記録保持者を列挙したり、あえて寸法をはかったり、比較したりしなかったもの、それは幸福である。(抜粋)
なぜならば「幸福」は主観的なものであり、選択可能であり、決定できないからである。そして、真実を見据えようとするならば、人間はだれひとり幸福であるとはいえない。そのためプリニウスは、著名人たちのたどった運命の列挙が語られる。
だれよりも幸運にめぐまれた人たちが、どのように不幸や不運に遭遇したかを説くために。(抜粋)
プリニウスが、幸運の浮き沈み、人生の長さの不可知性、占星術の空虚さ、病気、死などについて、何ページの割くのは、博物誌に運命という変数を導入することができないと思っているからである。彼が無尽蔵なほどの資料を集めるのは、人の人生を計測し他の人生と比較することは許されないという事実の証明に役立つからである。
人生の価値はそれ自体の内面にある。そうであれば、死後の世界に夢を描くことも、これを恐れることも幻覚にすぎない。死後は、誕生以前の非存在と等価でこれと対称した状態がはじまるのだという人々の説をプリニウスは共有している。(抜粋)
霊として生き延びる手段がないため、現在を享受する以外はない。そのため、プリニウスの関心は、天体、動植物、鉱物などの地球上の領域など現世に向けられているのである。
「誕生以前の経験に自らの平静心の手本を置くことだ」と彼はいう。すなわち、この世に生まれる以前と、死後という、唯一の確実な現実である不在に自分を置いてみること、私たちはそのとき、この『博物誌』がつぎつぎと見せてくれる、自分たちのそとにある、無限に異なった様相について知る幸福を手にすることができるのだ。(抜粋)
人類学が科学になるために
人類学が科学として成立するための疑問がすでにプリニウスの中にある。人類学が自然科学の客観性を持つためには「人文的な視野を離れなければならない。人間が科学の対象となるためには、主観性を超えることが必要である。幸福、幸運、善悪の配分、存在価値などを、我々に教える科学はないのだから」。
「すべての人は、自らの秘密を持ったまま死んで行く」と悲観的な調子で論述を終えることもできたが、プリニウスは伝説上、歴史上の区別抜きで、発見と発明のリストを列記している。
ここで、けっして一般論に陥らないプリニウスは、普遍と看破することが可能な発明や習慣に人間の独自性を求める。諸民族の暗黙の了解が得られた文化的事実は、プリニウスによると「アルファベットの使用」「男子が顔を理髪師に剃らせること」「太陽時計による一日の時間の表示」である。
この奇妙で脈絡のない取り合わせについてどうこう言うのではなく、
それよりも注目したいのは、彼がめざしている方向だ。異なった諸文化のなかで持続的に反復される要素をつきとめて、これを人間に特有なものであると定義する。この方法こそはやがて現代の民族学の方法論の原則となるものだ。(抜粋)
陸生動物の話
次にプリニウスは人間から陸に棲む動物を一望する(巻8)。ここで動物に最も長い章を当てているが、その冒頭を飾るのはゾウである。ゾウが最初になる理由として、最も大きい動物であるからである。しかし、何よりも「ゾウがもっとも人間に近い動物であるから」とプリニウスは言っている。ゾウは故国の言語を理解し、命令にしたがい、学習したことを記憶し、愛の激情を知り、栄光を渇望する。さらに、誠実、慎重さ、公正さといった「人間においても稀な」徳を実践し、星と月に対する宗教的な畏敬の念を持っている。人間に最も近いのがゾウであるから、これを精神の手本にすればよいと言っている。
ゾウを筆頭に地上動物たちの行列は、動物園に行った子供が見ているような具合に進んでいく。彼が用いた主な原典はアリストテレスの『動物誌』であるが、空想的な著作からひてくることも恐れない。そのため、よく知られている動物と龍や狼人のような空想的な動物が混然一体となって列記されている。
そしてこの章の最後にカルヴィーノは、このように言って終わる。
いろいろと迷っている読者には、より「哲学的な」巻二や巻三もよいいけれど、著作三十七巻全体にゆたかに表現されている自然についてのプリニウスの思想が、端的にのべられている、もっとも代表的な一冊としても、巻八に注意を向けることをおすすめする。彼の思想とは、こうだ。自然が人間の外にあるのは確実だが、それは彼の頭脳のもっとも奥深いところにあるものと区別しがたく、夢のアルファベット、空想の記号帳なのだから、自然なしには理性もあり得ない。(抜粋)
関連図書:プリニウス(著)『プリニウスの博物誌〈縮刷第二版〉』(1)~(6)、雄山閣、2021年


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