遅れる軍の対応 — 身体から見た戦争(その2)
吉田 裕 『日本軍兵士』より

Reading Journal 2nd

『日本軍兵士』 吉田 裕 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第2章 身体から見た戦争 — 絶望的抗戦期の実体II (その2)

今日のところは「第2章 身体からみた戦争」の“その2”である。前回、“その1”で日本軍兵士の体格・体力が戦争が激しくなるにつれて、低下していく過程と知的障害者や結核、虫歯などの個別の問題を見た

今日のところ“その2”では、これらの問題に対する軍の対応の遅れについて書かれている。それでは読み始めよう。

2 遅れる軍の対応 — 栄養不良と排除

第2節では、第1節で取り上げられた兵士の問題に対する軍の対応が書かれている。すなわち「給養」の問題、「知的障害」や「結核」の問題、さらに「虫歯」の問題である

給養の悪化と略奪の「手引き」

体格、体力の低下に対する最大の対策は、給養の向上である。ここで、給養とは、兵員に食料や生活必需品を供給することをいう。この給養は、すでに一九四〇年前後から悪化し始めている。そのため、食料品の「自給自足」が求められ野菜類の栽培、食用動物の飼育が始まっている。

そして「現地自活」の強化は、すでに常態化していた中国民衆からの略奪を一層強化することになった。野戦経理長官部が発行した『支那事変の経験に基づく経理勤務の参考』を発行しているが、その第四項「住民の物質隠匿法とこれが利用法」は、「隠匿」している食料などの物資をどのように発見するかが示されていて、事実上の略奪の「手引き」となっている。

戦後のGHQの報告書によれば、内地部隊の兵士の一日の給養は、合計三四〇〇〇カロリー(現在の表記法ではキロカロリー)が標準であったが、一九四四年九月以降は、二九〇〇カロリーに減じられた。その結果兵士の体重は、「戦前平均」の六〇キロからアジア・太平洋戦争末期では、五四キロに減っている。

また、陸軍省は、「体力の強壮ならざる兵を同一の内務班に集め、軍務の負担の軽減や教育時間の短縮に配慮しながら、「計画的かつ斬新的に体力の増強を図る」ように通達している。

結核の温床 — 私的制裁と古参兵

この結核の蔓延は、軍事医学や軍事医療だけの問題ではなく、軍隊生活の改善という問題とも関係している。ここで著者は、内務班の状況が結核の蔓延と深く関係していた事例を紹介している。

陸軍少佐の西川理助は、「胸部疾患の原因はその大部が『軍部内務指導上の欠陥により来る』の主張者」であるとして、自らの経験を述べている。西川は、転任した中隊で、結核患者がほぼ同一の内務班から出ていることに気がついた。聞き取り調査をすると、その内務班には残虐を好む伍長勤務上等兵がいて、班内で横暴を繰り返し、初年兵に対し毎晩拷問のような私的制裁を加えていた。そして、そのため初年兵は、心身の休まるところがなく、極度の過労に陥り、そして身体の弱い者から次々とり患していったことがわかった。同時に、初年兵は古参兵の身の回りの世話をするため、早飯となるため咀嚼が不十分となり、量も質も悪い食事しか得られず栄養不良となっていた。

極度の疲労と栄養不足が結核の温床となっているという分析である。要するに、私的制裁に代表されるような軍隊生活の欠陥を根本的に改善しなければ、結核を防止することはきわめて困難だった。(抜粋)

しかし、軍は軍隊生活の改善をせず、結核患者の対策は、結局「排除」だった。

結核の排除とレントゲン検査

陸軍における結核対策は、軍内からの排除だった。徴兵検査、入隊検査、定期身体検査で早期に結核を発見し、結核を軍隊内侵入を防止する、さらに隊内で発生した患者は直ちに入院させ、病状の安定を待って転役させ軍隊外へ排除する。

そのため徴兵検査ではレントゲン検査が採用された。この排除方針は「両刃の剣」でもあった。当時のレントゲン検査の水準では、検査によって結核であるか否かを正確に判定することは困難だった。そのため少しでも可能性がある場合は軍隊から排除せざるを得ず、また、誤診の可能性、あるいは結核の既往症を強調して入営を免れようとする者が増大した。

知能障害者の排除と「集団智能検査」

知的障害者の問題に関しては、独自の取り組んだ部隊もあったが、基本的にはこの問題でも排除の力学が働いた

陸軍は、「精神薄弱」者および精神病質者に対しては、その高度なものは除役するとともに軽度の者は、必要な保護を加えていること、また各部隊で「智能検査」「精神健康調査」を実施し、問題のある兵士の摘出努めるよう、通達した。

さらに、一九四四年からは徴兵検査にも「智能検査」を実施している。

水準、機器、人数ともに取った歯科医療

歯科医療にたいしては、日本軍の立ち遅れは明白であった。前線に配置された歯科医将校はほんのわずかであり、欧米に比べて歯科治療の水準は、低かったことが、日本軍の捕虜の尋問、鹵獲[ろかくした日本軍文書の翻訳から明らかであった。

また、陸軍同様に海軍においても歯科医療は非常に立ち遅れていた。

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