昔のブログ(reading Journal 1st)の記事を整理していたら。この記事、『ふらんす』2005OCTOBREを見つけました。そうそう、この劇作家の岸田國士と内藤濯の話は、よく覚えている。岸田は、もう少しのところで大杉栄の家を訪ねるところだった。雑誌はすでに無くなっちゃってる(処分した?)から、記事だけでも残しておこうと、再掲載決定!
(2025年9月28日)
「ふらんす」 小特集 もう一度フランス語
2005 OCTOBRE 白水社 670円
(初出:2005-10-23)
『ふらんす』2005年 OCTOBRE
英語の本を探しに行った時に、買ってきた雑誌!
フランス語関連の歴史の古い雑誌です。(今年80周年らしい!)
初級者から上級者向けの記事を配置している。
- フランスの学校では、音楽・美術・体育などは、ほとんど教えられない。のような教育事情
- フランスの「本のための雑誌」の話
- 初級からレベルアップするための勉強法(参考書ガイド付き)
などなどが書いてあった。
特に興味深かったのが、「『ふらんす』創刊80年に寄せて」という記事。
劇作家の岸田國士と『星の王子さま』の翻訳で有名な内藤濯の話。
大正5年の春、本郷菊坂上にあった内藤濯の家に若い岸田國士が訪ねてきた。(抜粋)
岸田は、陸軍中央幼年学校でフランス語を内藤に教わっていた。
その時の岸田は、すでに文学を志、親からは勘当され、その日暮らしをしていた。
そんな教え子のすぐれた才能を惜しんで内藤濯は、自分が編纂者のひとりであった。『模範佛和大辞典』の仕事の一部を、他の編纂者にはかったのち、岸田に担当させることにした。(抜粋)
そこでの、岸田の働きは非常に優秀だったそうだ。
そして、その仕事で得た金を元手に岸田はフランスに渡った。
大正9年の1月、岸田はマルセイユに到着し、すぐにパリに向かう。その後の4年半にわたるフランス滞在は、まさに水を得た魚のようだった。
そして、この話には後日談があるのだという。昭和24,5年頃に岸田は、内藤濯にこういう話をした。
じつはあのとき、あなたか、フランス語に堪能だった大杉栄を当てにしていたのだという。菊坂につづくもう一つ先の坂を上がったのだったら、大杉のところへ行ったはずだった。そうしていたら、この岸田はいまこの世にはいないだろうといって眼をしばたたいた..... そうだったのか、あの坂一つが人間ひとりの運命を決したわけだったのだ、と恩師もつぶやいた。(抜粋)
岸田國士に内藤濯、そして、アナーキストとして有名な大杉栄。
有名な人が、いっぱい出てくるな~。


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