膨大な戦病死者と餓死 — 死にゆく兵士たち(その1)
吉田 裕 『日本軍兵士』より

Reading Journal 2nd

『日本軍兵士』 吉田 裕 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第1章 死にゆく兵士たち — 絶望的抗戦期の実体I (その1)

今日から「第1章 死にゆく兵士たち — 絶望的抗戦期の実体I」に入る。「序章 アジア・太平洋戦争の長期化」(”前半“、”後半“)では、日中戦争・太平洋戦争が概観された。そして四期にわかれるアジア・太平洋戦争は、最終期の「絶望的抗戦期」における死者数が圧倒的に多く全体の九割に上ることが示された。そして、本章・第1章は、その「絶望的抗戦期」の戦場の現実がテーマである。

第1章は、節ごとに3つに分けてまとめるとする。今日のところ“その1”では、アジア・太平洋戦争では、戦病死者数が異常に多い状況について解説される。それでは、読み始めよう。

1 膨大な戦病死者と餓死

戦病死者の増大

戦場における兵士たちの死といえば、戦闘による死をまず思い浮かべるのが普通だろう。しかし、この常識が通用しないのがアジア・太平洋戦争、特に絶望的抗戦期の戦場の現実だった。以下、戦場における死のありようを一つひとつ見ていくことにしたい。(抜粋)

まず、近代初期では、伝染病などによる戦病死者が戦死者をはるかに上まわっていた。これを、軍事医学、軍事医療の発展、補給体制の整備などにより戦病死者は減少し、日露戦争の陸軍の戦病死者の割合は、二六・三%にまで低下した。

しかし、日中戦争では、戦争が長期化するにしたがい戦病死者数が増大し、一九四一年の時点で、戦病死者の割合は、五〇・四%になった。アジア・太平洋戦争期の包括的な資料はほとんど残っていないが、その苛酷な状況を考え合わせると、日中戦争の戦病死者の割合を下まわることは考えられない。

ここで著者は、戦病死の実相にせまるために部隊史を検討している。それは、部隊史のなかには、その戦没者名簿で戦死・戦病死の区別を明確にしているものが少なくないからである。

支那駐屯歩兵第一連隊の部隊史によると、絶望的抗戦期における戦病死者の割合は、七三・五%にもなり、さらにそれ以上の数字であった可能性も否定できない。軍隊内や一般社会内に戦死の方が戦病死よりも価値が高いという風潮があったため、戦病死を戦死と「読み替える」事例があったからである。

餓死者 — 類を見ない異常な高率

次に著者は、戦病死と密接な関係にある餓死の問題を検討している。それは、アジア・太平洋戦争では、多くの餓死者が発生しているからである。

この餓死者の割合については、藤原彰の先駆的研究では、栄養失調による餓死者と栄養失調に伴う体力の消耗の結果、マラリアなどに感染し病死した広義の餓死者の割合は全体の六一%に達すると推定している(『餓死した英霊たち』)。これに対して秦郁彦は、藤原の推定は過大だと批判し、三七%という推定値を提示した(『旧日本陸軍の生態学』)。しかし、秦自身も、内外の戦史に類を見ない高率と指摘している。

ここで著者は、フィリピン防衛戦に関する調査結果『大東亜戦争陸軍衛生史(比島作戦)』の記述から、「戦闘以外の病死者が約55~60%でそのうちの約半数が悪疫を伴う餓死であると思わざるを得ない」という記述を示し、論拠を補強している。

この多数の餓死者の最大の原因は、制海・制空権の損失により、各地で日本軍の補給路が完全に寸断したために起こった食糧不足である。

この餓死の問題について、軍当局もその深刻さは認識しており、また昭和天皇自身も把握していた。

マラリアと栄養失調

食糧不足による栄養失調は、疾病と相互に関係している。ここで著者は、陸軍主計中佐の田村幸雄(「第一線における戦力増強と給養」)と佐世保鎮守(『ソロモンの陸戦隊 佐世保鎮守府第六特別陸戦隊戦記』)、露木萌(『ビルマ北から南まで、「安」第二野戦病院の記録』)の文献により、栄養失調と疾病(マラリア)の関係について記述している。

マラリアにかかると高熱がかかるところに食料がなく極端な栄養失調になりやがて死んで行くという過程をとり、マラリアの治療を困難とした一番の原因は、食糧不足による栄養失調である。

対する米軍は、DDTの大量使用によりマラリアを媒介する蚊を駆除し予防に成功している。日本軍はマラリアに対する研究は進んでいたが、対策面は大きく遅れていた。

戦争栄養失調症

栄養失調の問題で重要なのは、戦争栄養失調症である。これは極度の痩せ、食欲不振、貧血、慢性下痢を主症とするもので、治療は極めて困難で多くが死亡にいたる者である。陸軍軍医中将の梛野厳なぎのいつきの「戦争栄養失調症」という論文のなかで、最終的にはほとんど言葉を発せず「生ける屍」のようになり、ついには燃え尽きて「火が消えるが如く鬼籍に入る」と表現している。

この『戦争栄養失調症』の患者は、アメーバ赤痢、細菌性赤痢、マラリア等の疾患を併発している場合も多く、伝染病説も有力であった。しかし、内地における教育訓練でも全く同一の症状経過を取る者が発生し、伝染病などの罹患だけで原因を説明することは無理があった。

陸軍軍医中将の難波光重は、次の二つの戦争栄養失調症を区別するべきであると主張した。

  1. 「続発性戦争栄養失調症群」:伝染病、結核の感染、再発等に続いて発現するもの
  2. 原発性戦争栄養失調症群」:疾患の伝染がなく、その他の合併症や伝染源がないもの

戦争栄養失調症と精神神経症との関連

戦争栄養失調症の原因は、突き止められないうちに日本軍は敗戦し陸海軍は崩壊した。しかしその後、新しい説が登場する。

軍医として戦争栄誉失調症の研究に取り組んでいた青木徹は、「脳幹視床体」に注目した説を提唱した。それは、食料などの給養の不足、戦闘による心身の疲労など、戦場の苛酷さに起因するストレス、不安、緊張、恐怖などによって、ホメオスタシスと呼ばれる体内環境の著性機能が変調をきたし、食欲機能が失われて接触種がいを起こすというものである。

また、精神科医の野田正彰は「実は、兵士は拒食症になっていたのである。食べたものを吐き、さらに下してしまう。壮健でなければならない戦場で、身体が生きることを拒否していた」と述べている(『戦争と罪責』)。

いずれにせよ、戦争栄養失調症は、単なる栄養失調ではなく、後述する戦争神経症の問題と確実に重なり合っている。(抜粋)

関連図書:
藤原彰(著)『餓死した英霊たち』、筑摩書房(ちくま学芸文庫)2018年
秦 郁彦 (著)『旧日本陸海軍の生態学 – 組織・戦闘・事件』、中央公論新社 (中公選書 19)、2014年
野田 正彰(著) 「戦争と罪責」 岩波書店(岩波現代文庫) 2022年

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