『日本仏教再入門』 末木 文美士 編著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第十二章 葬式仏教 日本仏教の深層2(末木 文美士) (その1)
今日から「第十二章 葬式仏教 日本仏教の深層2」に入る。第十一章(“その1”、“その2”、“その3”)は、日本仏教に特徴的な戒律の変遷についてがテーマだった。
同じく第十二章では、日本仏教に特徴的な「葬式仏教」の問題を考察する。第十二章も、各節ごとに3つに分けてまとめることにする。それでは、読み始めよう。
日本の伝統仏教は葬式仏教徒呼ばれ蔑視されることがある。ここでは仏教思想の歴史的展開の中から葬式仏教を捉えなおし、その意義を考察する。
1.近代の葬式仏教
葬式仏教は方便か
日本の仏教はしばしば「葬式仏教」と軽蔑的に呼ばれている。それに対しては、明治時代から仏教は死者のためのものではなく、生者の生き方のためのものという主張がなされている。
そこから、葬式仏教は仏教を日本の民俗に妥協したもので、民衆に仏教を広めるための方便であり、本来の仏教ではないということが、ほとんど常識的に言われるようになった。(抜粋)
著者はこれに対し二つの疑問点が指摘されるとしている。
- 現在の葬式仏教の形態は古くからの習俗といえるか
- 葬式仏教の考え方は、本来の仏教の考え方に合わないものといえるか
これに対し①については、肯定と否定の両面から答えられるとしている。その肯定的な答えは、②と関わり、大乗仏教の根底と関わるため後ほど考えるとしている。そして否定的答えは、葬式仏教は近世の檀家制度に由来すると言われるが、(近世の)檀家制度のもとでの葬式仏教と近代の葬式仏教では社会的意味、形式ともに違うというものである。
葬式仏教の伝統(疑問点①の否定的な答え)
ここで著者は、疑問点①「現在の葬式仏教の形態は古くからの習俗といえるか」の否定的答えから見ていくとしている。
近代以前の葬儀伝統
葬式仏教の儀礼的な形態は禅宗の形式が影響しているとされる。禅宗では、
- 尊宿(悟りを開いた僧):現世での教化を終え、他の世界での教化に従う。「遷化」と呼ぶ
- 亡僧(修行の途中の僧):修行の途中で亡くなった場合は、悟りに到達できるように手助けが必要。
では、葬儀の性質が異なる。
この亡僧の葬法が転用して在家者の葬儀にも形式になった。他宗派もそれぞれの方法があるが、中世以後に整備され、近世の寺壇制度の中で定着した。
この寺壇制度は、キリスト教でないことを証明する為に必ずどこかの寺院の信者として登録(宗門改め制度)されることが義務付けられたことから始まる。寺院は菩提寺、檀那寺と呼ばれ、家の方は檀家と呼ばれた。この檀家の「壇」は、布施を意味する「ダーナ」に由来し寺院のパトロン(檀那、ダーナパティ)が原義である。この寺院への登録名簿・宗旨人別帳は、近代の戸籍に当たり、幕府は寺院を通して民衆支配を行った。そしてこの寺壇制度に下で寺院は住民の葬式を担当した。(寺壇制度については、ココを参照)
近世に仏教的葬式儀礼が普及したのは事実であるが、近代の葬式仏教とは必ずしも同じ機能を果たしたわけではない。(抜粋)
その違いは、
- 近世の寺壇制度で葬式を担当したが、住民の生活全体に関わっていて死者の問題が主ではなかった。
- 近世では家単位と言ってもそれほど厳格でなかった。近世では庶民に姓が認められていなかったので、家の継続に限界があった。
近代の家父長制と葬式仏教
近代の葬式仏教は、近世の寺壇制度がもとになるが、これとは異なるものである。近代になると天皇を中心とした国家体制となったが、その基礎となるのが家父長制的なイエ制度である。イエ制度とは、個人を越えてイエを永続するものであり、相続は家督相続としてイエ自体を相続する制度となる。このようなイエ制度は近世において、武士や上層の農民からある程度中程度の農民に広がっていったが、近代になるとさらに一般庶民まで広がり、義務化し、天皇を中心とした国家体制となった。
この家父長体制の柱は、大日本帝国憲法・皇室典範・教育勅語・民法などとなる。大日本帝国憲法で、天皇中心の国家体制が明示され、天皇家というイエが家父長的に維持されていることが底辺にある。そして、皇室典範により皇室の家父長的な継承を定めている。さらに、皇室をモデルとして一般の国民も、イエを基盤として相続することを法体系としたものが民法となる。そして、法的な制度を補完するものとして初等教育から道徳として親への孝、天皇への忠を教えたのが教育勅語である。
近代の葬式仏教・寺院と檀家
ここで著者は、日本での寺院と檀家の関係について書いている。
日本のイエ制度のシンボルは、位牌と墓地である。位牌は、中国で儒教での伝統で死者を祀るために用いられたが、日本では、葬送儀式を仏教が担当したため、家に仏壇を設け、そこに位牌を安置し先祖を祭るのが一般的である。墓地はもともと必ずしも寺院と関係ない場所にも多く作られたが、近世以降の寺院の敷地内に墓地を設けることが多くなった。明治維新で神道中心の政策が行われ「墓地及び埋葬取締規則」により規制されたが、もともとの寺院墓地はそのまま継承された。
このように、イエのシンボルとしての位牌と墓は仏教の方式で維持され、近世の寺壇制度を生かして近代のイエ制度の下で、新しい形で寺院と檀家の関係が作られた。(抜粋)
近代は仏教が政治から切り離され、廃仏毀釈と神道中心政策によって危機的な状況になった。しかし神道が国家神道化し一般の葬祭に関われなくなったため、死者への対応は仏教に期待されるようになる。
これが近代日本の特有の葬式仏教の形態である。それが寺院の経済を支え、妻帯許可による寺院の世襲とともに、近代の仏教界は、それなりの安定を得ることになった。(抜粋)
現代の葬式仏教の問題
そして、第二次世界大戦後は、それまでの家父長制度は崩壊したが、イエの意識が残っていたため、しばらくの間は葬式仏教がそのまま継続した。
しかし、高度成長下で各家族化が進み家の意識が薄れ、さらに少子化、高齢化するにしたがい、従来のイエ制度に頼った葬式仏教は成り立たなくなってきた。葬儀の簡素化、家族葬、(宗教的儀礼を含まない)直葬、が広まり、集合葬、自然葬なども行われるようになる。そのため従来の檀家制度が次第に維持できなくなり寺院の経営が成り立たなくなることや後継者不足のため、廃寺や兼務寺院が増えている。
今日の日本仏教は大きな転換点に立っている。従来のイエ制度に依存した葬式仏教の体質をどのように変えることができるかということであり、さまざまな試みがなされている。社会参加仏教への関心も、そのような中で強くなっている。しかし他方、東日本大震災などを経て、死者と関わる伝統的な仏教の必要性もまた、説かれるようになっている。今日の仏教界は、過渡的な状況にある。その中で、仏教の本来の使命に立ち返りながら、どのように新しい方向を見出すことができるかが、大きな課題となっている。(抜粋)
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