『日本仏教再入門』 末木 文美士 編著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第十一章 日本仏教と戒律 日本仏教の深層1(末木 文美士) (その1)
今日から「第十一章 日本仏教と戒律」に入る。ここまで、日本の主要な仏教思想家や近代仏教の展開を追ってきたが、ここから四章にわたり、日本仏教の特徴とされるものをトピックス的に取り上げるとしている。すなわち
- 第十一章:日本仏教と戒律
- 第十二章:葬式仏教
- 第十三章:神仏の関係
- 第十四章:見えざる世界
である。
本章、第十一章では、まず「日本仏教と戒律」が取り上げられている。本章も、節ごとに3つに分けてまとめることにする。それでは読み始めよう。
1.僧侶の妻帯
肉食妻帯の特殊性
アジアの仏教国の中で、日本の仏教の特徴としてしばしば取り上げられるのが、僧侶の妻帯と肉食である。(抜粋)
日本では、多くの寺院で僧侶は家族とともに家庭生活をし、俗人と同じような生活をしている。また、檀家の世話や葬祭の従事などが主な仕事であり、僧侶は世俗の職業の一種とみられている。
しかし、他のアジアの国では、南伝の上座部仏教でも、チベット仏教でも、中国や韓国の仏教でも、僧侶はきれいに剃髪し、独特の僧衣を纏い、独身を保って生活している。そして多くの場合は、寺院で団体生活をし修行に専念している。
このようにアジアの他の地域の僧侶に比べて日本の僧侶は様子が異なっている。そして、いかにも日本仏教が戒を守らず堕落しているかのような印象を与えがちである。
しかし著者は、そのような見解は必ずしも適当でないとし、以下でその歴史的経緯から検討している。
肉食妻帯の許可の歴史的経緯
僧侶の肉食妻帯が認められたのは、明治五年の太政官布告による(ココ参照)。江戸時代では、浄土真宗(一向宗)のみが、宗祖親鸞(ココ参照)に倣い肉食妻帯が認められていたが、それ以外の宗派では認められていなかった。
しかし、明治期になると僧侶の宗教者としての特権を無くし、一般人と同じように戸籍に組み込んで納税を課することになる。これにより、それまで幕府の庇護のもとで国家宗教的な位置を占めてきた僧侶の特権は奪われ、僧侶の地位も聖職者から世俗の職業人に代わった。
それならば、僧侶の肉食妻帯を国家が禁じ、特殊は生活形態を強いる必然性はない。(抜粋)
この肉食妻帯の許可は、神仏分離、廃仏毀釈によって打撃を受けていた仏教界にとって大きな出来事だった。これに対して、保守派の僧侶は抵抗し独身を守り、肉食妻帯に反対した。(その代表的存在として、浄土宗の福田行誡がいる)
世俗社会の中での定着
このような抵抗はあったものの、全体として次第に僧侶が結婚して子供を儲け、家庭生活を営むのが当たり前になっていった。(抜粋)
ここで著者は、仏教界にはそれを積極的に推進する動きも見られたとして、日蓮主義の田中智学を例に挙げている。田中智学(ココ参照)は、一度出家し還俗したのち日蓮主義運動を起こした人物である。彼は『仏教夫婦論』「仏教僧侶肉妻論」(雑誌『獅子王』に連載)において、僧侶の結婚を積極的に肯定し、社会の中で定着することを図った。また、末法という時代では、戒律という立場でも肉食妻帯は認められるものと主張した。
『宗門之維新』(一九〇一)においては、僧侶が家庭を持ち、住職を世襲することで寺院の永続的な基礎となると論じられている。(抜粋)
そして、この智学の見解は、実際に実現しつつある。そして僧侶が結婚し、寺院は実質的に世襲されるようになったため、地域社会の中で安定的に持続することが可能となった。著者は、このような変化を、肯定的にとらえていて、
それは世俗社会から離脱としての仏教から、世俗社会の中で機能する仏教への転換と言うことができる。(抜粋)
と評し、これが、日本型の社会参加仏教の基礎形態であると言っている。
しかし、仏教教団の側ではこのような世襲について適切な理論づけが行われていず、さらに寺族(住職の配偶者や家族)の地位が明確でない、また女性が僧侶になることに制約があるなど問題点がある。
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