『日本仏教再入門』 末木 文美士 編著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第九章 グローバル化する仏教 近代の仏教3(大谷栄一) (その3)
今日のところは、「第九章 グローバル化する仏教」の最終節“その3”である。これまで、“その1”、“その2”においてグローバル化する仏教の展開を追った。今日のところ“その3”は、明治時代の仏教のグローバル化の最終点であるシカゴ万国宗教会議への参加とそこで主張した「東方仏教」について、そしてこの会議がきっかけで世界に羽ばたいた鈴木大拙についてである。それでは、読み始めよう。
3.シカゴ万国宗教会議への参加
「東方仏教」とシカゴ万国宗教会議
このような明治期の仏教のグローバル化の流れの最終点が、シカゴ万国宗教会議への参加である。この会議は、コロンビア万国博覧会の一環として行われ、一五万人の聴衆をあつめた。その目的は、世界の宗教伝統の相互理解を深めることで、キリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、ゾロアスター教、イスラーム、仏教、神道、儒教、道教の代表者が英語でスピーチと議論をした。
日本からは、土宜法龍(真言宗)、蘆津実全(天台宗)、釈宗演(臨済宗)(ココ参照)、八淵蟠龍(真宗本願寺派)、野口善四郎(通訳)が参加し、清沢満之の『宗教哲学骸骨』(ココ参照)の英訳が会場で配られた。
ここで日本は、「東方仏教」という概念を主張した。当時、西洋の仏教学の解釈では、南方仏教(上座部仏教)が価値あるものとされ、北方仏教(大乗仏教)は、西洋の知識人からは仏教でないと考えらえられていた。
それに対して、日本の仏教徒は日本仏教を「北方仏教」から区別される「東方仏教」であると定義し、大乗仏教も上座部仏教と同じく、ブッダの教えであると説いたのである。法身(絶対的真理)としてのブッダ、万物に内在する仏性、社会参加に身を捧げる菩薩の誓願などが説かれ、西洋社会に道の未知の大乗仏教が紹介されたのである。(抜粋)
この会議で釈宗演は、「仏教の要旨ならびに因果法」という公演を行ったが、その原稿を得訳したのが鈴木大拙だった(ココ参照)。この公演が機会となり鈴木大拙は渡米し、オープンコート社で翻訳と編集校正を行い、その滞在期間に『大乗起信論』の英訳、英書『大乗仏教概論(Outlines of Mahayana Buddhism)』の執筆を行った。
鈴木大拙と禅のグローバル化
この鈴木大拙から、「第九章 グローバル化する仏教」の冒頭にトピックス的に取り上げられた「禅のグローバル化」の話に戻る(ココ参照)。
帰国後、大拙は、東京帝国大学、学習院大学の教授を辞し、龍谷大学の教授に着任する。そして、Eastern Buddhist Society(東方仏教徒協会)を結成し、英文雑誌『イースター・ブッディスト』を刊行する。その後生涯に三〇冊以上の英文書、一〇〇冊以上の和書を刊行した。著者は、大拙を禅を欧米に紹介した最大の功労者であると言っている。大拙の大乗仏教や禅思想は、伝統的なものでなく近代仏教的であり、西洋の視点に立った禅オリエンタリズムであるという批判もあり、現在も論争が続いている。
そして現代では、マインドフルネスという瞑想の技法(プラクティス)にZENの影響が及び、日本に逆流している。
最後の著者は、「第九章 グローバル化する仏教」のまとめとして、以下のように言って章を閉じている。
以上のように、日本の近代仏教のグローバル化は明治初期に始まり、現在も続いている。「仏教」をめぐる東洋と西洋んも関係、西洋のオリエンタリズムと植民地主義の影響、「東方仏教」というイメージ戦略など、さまざまなまなざしや権力関係が複雑に錯綜した歴史の中で、日本仏教のグローバル化が展開してきたことがおわかりいただけただろうか。こうしたグローバル化は、日本の近代仏教を形成した重要な要因の一つだったのである。(抜粋)
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