『日本仏教再入門』 末木 文美士 編著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第八章 近代仏教の形成 近代の仏教2(大谷栄一) (その2)
今日のところは、「第八章 近代仏教の形成」の“その2”である。“その1”では、幕末・明治期に近代化した仏教の「近代化の指標」について論じられた。
今日のところ“その2”では、この仏教の近代化の一例として、明治二〇年代に起こった仏教改革とその構造について検討される。それでは読み始めよう。
2.明治二〇年代の仏教改革をめぐる構造
仏教改革、井上円了と中西牛郎
近代日本における仏教の基本的立場と役割は、明治初期~中期の明治政府による宗教政策によって定められた。仏教界は廃仏毀釈のダメージに始まり、教導職制や大教院体制などに翻弄されながら、一八八一年(明治一七)の教導職制の廃止以後、教団制度の近代化を進めていく、しかし、社会のおける仏教界の勢力や影響力はなかなか挽回できなかった。(抜粋)
井上円了
そして明治二〇年代に仏教改革の声が高くなる。その代表的人物が東洋大学の創始者である井上円了である。
円了の『仏教活論序論』は大ベストセラーになった。円了にとって、仏教・儒教・キリスト教のいずれも真理として信ずるべきものはなかったが、東京大学で西洋哲学を学んだ結果、「仏教」に真理が備わっていることを再発見する。そして
「仏教を改良してこれを開明世界の宗教となさんことを決定するに至る」(抜粋)
このように記している。この円了の「宗教」にもビリーフ中心主義(ココ参照)の宗教観が反映している。円了は「護国愛理」の国家主義的な立場から、西洋の学知で解釈した仏教の社会的役割を強調し、仏教の再興を訴えた。
中西牛郎
井上円了の影響を受け、仏教改革論を展開したのが中西牛郎だった。
中西は、『仏教革命論』「宗教大勢論』『新仏教論』『仏教大難論』など続々と仏教改革論を著した。
『仏教改革論』は、西洋の宗教学、哲学、社会学、神学等を採用した比較宗教論による仏教改革論である。この中で、中西はキリスト教と仏教を比較し、「文明世界の宗教」は、仏教であると断言する。そしてキリスト教を「旧宗教」、仏教を「新宗教」と規定する。しかし従来の「旧仏教」のままでは来るべき世界の宗教になる資格がないとして、「宗教世界の一大革命」として「新仏教」への改革を主張した。
仏教青年サークルと仏教系メディア
このような円了や中西の仏教改革論は、仏教界の現状を嘆き、批判した青年仏教徒たちに支持された。
ここで、著者は真宗本願寺派普通教校(現在の龍谷大学)に通う学生有志によって設立された(禁酒運動の)反省会の機関紙(現在の『中央公論』の前身)を例にして、その様子を見ている。
また、明治二〇年代は、仏教系新聞・雑誌の創刊が盛んであり、そのような仏教系メディアの成長も見逃せない。
以上から、明治二〇年代の円了や中西の仏教改革論の背景には、仏教青年サークルの組織化、仏教系メディアの整備という歴史的・社会的文脈があったことが明らかになった。(抜粋)
中西は、当時の仏教改革の機運を捉えて、それを比較宗教論によって意味づけた「新仏教」という言葉により正当化した。そのような中西の仏教改革論(新仏教論)は仏教メディアを通じて、賛否両論を含め普及し、反省会をはじめとする仏教青年サークルという社会基盤の中で、受容され、支持された。
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