[再掲載]「果てしなき欲望の狂宴」(金瓶梅)
井波 律子『中国の五大小説』(下)より

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(初出:2009-04-21)

「中国の五大小説」(下) 井波律子 著

『金瓶梅』の巻 — 謎の「作者」と裏返しの悪夢 四 果てしなき欲望の狂宴 — 官哥の誕生とインドの媚薬

その後、宋恵蓮そうけいれんが西門慶の前に登場し、二人はたちまち深い中となる。この事態を潘金蓮が見逃すはずはなく、さらに宋恵蓮が潘金蓮より足が小さいのを自慢するにいたって闘争心を燃やすことになる。そして、最終的には悪女になりきれなかった宋恵蓮は、金瓶梅世界では生きていけずに亡くなってしまう。

当時の女性は纏足てんそくの風習がありほとんどすべての女性が纏足をしていた。『金瓶梅』では足やくつの話題がしばしば登場する。纏足は『水滸伝』の舞台となった北宋末にはすでに広く行われている。さらに明代になると女性にとって当然の風習となるが、それにつづく清代になるとやや様相が変わってくる。清は満州族の王朝であり、纏足の風習はなく、この漢民族の奇習に否定的であった。そのためか、明代に書かれた『金瓶梅』には纏足にまつわる話が山ほどなるのに、清代に書かれた『紅楼夢』にはこの話は全く出てこない。

宋恵蓮の死後、西門慶はますます上り坂に向かう。まず李瓶児がはじめての男子、官哥かんかを出産する。さらには、蔡京への度重なる贈り物が功を奏して西門慶に官位が贈られた。このことより「政商」となった西門慶は、商売を手広く広げてますます栄える。西門慶は官哥を生んだ李瓶児の元に入り浸り、潘金蓮は激しく嫉妬する。さらには、使用人の妻である王六児おうろくじと交わるなど女狂いにふける。

『金瓶梅』で繰り返される西門慶の「雲雨うんう、情交」の場面は結局パターンは同じである。最初はギョッとするような描写も、執拗に繰り返されることにより読者はだんだんと倦怠感を覚えるようになる。作者はこのようなワンパターンの乱痴気騒ぎを冷静に見据え、強靭な批判精神で発揮している。

単にエロティックな小説という事では、『金瓶梅』以外にも多くの作品があるが、『金瓶梅』だけが古典として生き残っているのは、これが単にエロティシズムが売り物ではない事を物語っている。作者は西門慶のワンパターンの乱痴気騒ぎを執拗に描きながら、方向性を見失った欲望の暴発の空虚さをあぶりだし、ひいては、明末という時代がかかえた、奇妙な活気にあふれた深い闇を、閃光のように鋭く切り裂いてみせるのです。こうした作者の複眼と冷徹な語り口が、『金瓶梅』に時代を超えて生きる古典としての底力を与えているといえるでしょう。

西門慶は、自分を後押ししてくれるような有力官僚を自宅に招いて接待につとめ、みるみるうちに多角経営者にのし上がる。しかしここで西門慶の本質的な転換点になる事件が起こる。西門慶は、たまたま出会ったインド僧を自宅に招いて饗宴したことから、インド僧より強力な媚薬と強精剤を送られる。最終的には薬の切れ目が命の切れ目となる。

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