[再掲載]「「水滸伝」からの分かれ道」(金瓶梅)
井波 律子『中国の五大小説』(下)より

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(初出:2009-04-16)

「中国の五大小説」(下) 井波律子 著

『金瓶梅』の巻 — 謎の「作者」と裏返しの悪夢 — 「水滸伝」からの分かれ道 — 武大殺しと生きのびた「悪の華」

『金瓶梅』といえば西門慶せいもんけいをとりまく欲望とエロスの世界を描く作品で、エロティックな描写が展開されるという印象が流布しているが、この『金瓶梅』こそ、中国小説史において大変重要な意味を持つ、画期的な大小説である。

それは、これまれの『三国志演技』『西遊記』『水滸伝』は「語り物」を母胎として生まれた作品であるのに対して『金瓶梅』は最初から単独の作者が構想して著した作品だということである。『金瓶梅』より中国古典白話長編小説は『語られもの』から『書かれたもの』へと大転換をとげる。

そしてこの『金瓶梅』の作者は、先行する『水滸伝』のひとつの挿話を踏み台にして、新たな物語を構築するという、驚くべき離れ業を用いている。

『金瓶梅』にはさまざまなテキストがあるが、最古の刊本は、万暦ばんれき年間(一五七三 - 一六二〇)待つから天啓てんけい年間(一六二一 - 一六二七)にかけて刊行された『金瓶梅詞話』(全百回)である。『金瓶梅』が実際に書かれたのは十六世紀末、万暦年間中頃であるが、『詞和』が刊行されるまで、二十年ほどは写本の形で流通した。本書も『詞和』を元に解説する。

『金瓶梅』の著者は、『金瓶梅詞和』にある欣欣子きんきんしという人の序によると、笑笑生しょうしょうせいであると書かれている。もちろんこれはペンネームであり、それがいかなる人物か刊行当初からえんえん四百年にわたり論議を呼んでいる。

『金瓶梅』の文章表現は、白話表現として未整理の感が強く、いたって読みにくい、そして、ところどころにある挿入詩もけっしてレベルが高くない。それなのに、物語構成は第一回から第百回までみごとに首尾一貫している。

『金瓶梅』の冒頭は『水滸伝』の武松を主人公とするいわゆる「武十回」の前半部がほぼそのままくりかえされている。

潘金蓮はんきんれんと不倫相手の西門慶により、武松の兄の武大が殺されるというくだりである。『水滸伝』では、潘金蓮と西門慶は、武松により惨殺されてしまう。しかし『金瓶梅』では、武松が戻ってきた時はすでに潘金蓮は西門慶に輿入れしてしまっており、また、西門慶は危ないところで武松に殺害されるのを免れる。

以後、武松の血の制裁を逃れた西門慶と潘金蓮を中心に、武松ら「侠の精神」を体現した豪傑によりくりひろげられる『水滸伝』の物語世界を、もののみごとに逆転させた『金瓶梅』の物語世界が、本格的に展開されます。『金瓶梅』は、『水滸伝』が徹底的に排除した、さまざまな「欲望」を真正面からとらえた作品です。さらにまた、ここには『水滸伝』が意図的に嫌悪し排除した女性が大挙して登場します。

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