『論語入門』 井波 律子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第二章 考え方の原点(その3) — 1核となるキーワード — 「孝」 父母への敬愛、「礼」 真情の表現形式
今日のところは、「第二章 考え方の原点」の“その3”である。ここでは、『論語』の核となるキーワードのうち「孝」と「礼」を取り扱う。それでは読み始めよう。
「孝」 — 父母への敬愛
No.44
孟武伯 孝を問う。子曰く、父母は唯だ其の疾を之れ憂う。(為政第二)(抜粋)
孟武伯が親孝行についてたずねた。先生は言われた。「父母はただその病気のことだけ心配されよ」。(抜粋)
この条には、古来、3つの解釈がある。それは、
- 「其の病」を「子供の病気」ととり、父母が子供の病気のことだけ心配するようにし、他のことで心配かけてはならない
- 同じく「其の病」を「子供の病気」ととるが、父母は子供が病気になることだけ心配しているのだから、病気にならないように身体を大切にしなさい
- 「其の病」を「父母の病気」ととり、父母についてはただ病気だけ心配しなさい
という解釈である。著者はここで第三の解釈が最も素直で自然であるとしている。
No.45
子曰く、父母の年は、知らざる可からず也。一つには則ち以て喜び、一つには則ち以て懼る。(里仁第四)(抜粋)
先生は言われた。「父母の年は知っておかねばならない。一つはその長命を喜び、一つには高齢で不測の事態が起こるのを恐れるのである」。(抜粋)
この言葉について著者は、「堅苦しい親孝行の教義とはおよそ無縁な、深いやさしさにあふれた言葉である」と評している。
「礼」 — 真情の表現形式
No.46
子曰く、上に居て寛ならず、礼を為して敬せず、喪に臨んで哀しまずんば、吾れ何を以てか之れを観んや。(八佾第三)(抜粋)
先生は言われた。「上位にいながら寛容でない者、礼の身ぶりをしながら敬意をもたない者、葬儀に臨席しながら哀悼しない者を、私は見るに耐えない」。(抜粋)
寛容、敬意、哀悼は人の真情の発露である。孔子は、型を守っているだけで、真情がこもっていない人を厳しく非難した。孔子は、「型の方式」はあくまで真情に裏打ちされている表現でなければならないとした。
No.47
子曰く、君子は博く文に学びて、之れを約するに礼を以てす。亦た以て畔かざる可し。(雍也第六)(抜粋)
先生は言われた。「君子はひろく文化的教養を身につけ、これを礼によって凝縮して表現したならば、道からはずれることはないだろう」。(抜粋)
この条は、孔子の「学び」と「礼」の相関関係を指摘している。
No.48
子曰く、命を知らざれば、以て君子と為す無き也。礼を知らざれば、以て立つ無き也。言を知らざれば、以て人を知る無き也。(堯日第二十)(抜粋)
先生は言われた。「天が自分に与えた使命や運命を知らなければ君子ではない。礼を知らなければ自立してやってゆけない。言語をしらなければ、人を認識できない」。(抜粋)
これは『論語』の最後に置かれた言葉である。「命」「礼」「言」を知ることが、自立した人間にとって不可欠であることが述べられている。
この条では、最初の「命を知らざれば、以て君子と為す無き也」でよき人になるための個人的自覚をうながし、そして次の二句によって、社会的人間として必要する属性を指摘する形で論理が展開される。
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