(初出:2008-07-10)
「中国の五大小説」(上) 井波律子 著
『西遊記』の巻 — 巨大な妖怪テーマパーク — 地獄の沙汰はいかに — 太宗の地獄めぐり
『西遊記』の世界は、融通無碍で「何でもあり」の世界である。『演義』などが現実を土壌に虚構を作っていたのに対して、『西遊記』は土壌じたいを人工的に作ってしまっている。その人工性を強く感じさせるのは、天界の摩訶不思議な構造である。『西遊記』の天界は、天の真中に玉帝(道教)、西方に釈迦如来(仏教)とすみ分けてともに天を守っている構造となっている。また、天も現実の世界と同じように官僚社会的なヒエラルキー(階層)がある。
物語は悟空が五行山のふもとに閉じ込められてから五百年がたつ。
四大部洲(東勝神洲、西牛貨洲、南贍部洲、北倶蘆洲。仏教的宇宙観・世界観によれば、世界はこの四洲に分けられる)を見そわし、釈迦が弟子たちに言うことには、四洲のうち東方にある南贍部洲のみ、ひたすら悪がはびこっている。ここに「三蔵の真経」さえあれば善を勧めることができるとして、菩薩たちに言います。
釈迦如来は、「東土」つまり唐から善知識ー仏教の指導者ーを選びだして、途中功徳を積ませながら、西方の天竺へと経典をもらいにゆく旅をさせる事にした。そこで、取経の道のりの下見を兼ねて観音菩薩を唐に派遣する。
観音菩薩は、途中で水怪-沙悟浄-、ブタの化け物-猪八戒-、龍王の大子-三蔵の馬-に会い、西方に取経の旅へ向かう者を待つように言いつける。そして最後に孫悟空を仏門に帰依させ、同じように従者を務めるように言い唐の長安へと向かう。
ここで話は変わり、「太宗の地獄めぐり」の話となる。この物語はもともと独立した物語で、唐代から伝説として知られるものである。
太宗が龍王の恨みを買い、臨終を迎えようとしていると魏微が太宗に一通の手紙を渡し、死後、鄷都地獄にたどりついたら、これを判官の崔珏に渡せばかならずこの世に帰してくれるという。崔珏のおかげで現世に戻れることになった太宗は、十王に瓜を届ける約束をしてから、崔珏の後について冥府の観光見物に出かけた。ところがそこで、太宗は成仏できない悪霊たちに取り囲まれてしまう。そこで崔珏は、あの者たちは、路用の金銭もなく、孤独で貧乏な餓鬼になってしまっているので、金銭を恵んでやれば、私が何とか助けてやれます、と言った。しかし手ぶらで地獄に来た太宗には持ち合わせが無かった。
「陛下、陽間(人間世界)にはいくらかの金銭を私ども冥界の役所に預けている者がおります。陛下の名義で契約をなさり、私が保証人になって、その者から金庫一つ分お借りになり、あの餓鬼どもに分けてやられたならば、やつらもここを通してくれるでしょう」と崔判官。
こうして太宗はようやく地獄から戻ってくる。
「太宗の地獄めぐり」のくだりは、孫悟空が暴れまわる天界と対象的な地獄という世界を紹介している。物語はその二つの異界をセットにしたのち、西遊記世界において展開される大いなる異界へ読者を導入していく。
地獄から戻ってきた太宗は、使者とたてて十王に瓜を届けさせると、借金をした相良に借金の返済をしようとした。しかし相良は現世ではしがない水売りで、貧しいながらやりくりして、お布施をあげたり紙銭を焼いたりしたものが、知らないうちに冥土で財として積まれたわけなので、太宗が返済すると言っても受け取ろうとしない。しかたないので太宗はその金で相良のために寺院(大相国寺)を建立して功徳を積むことにした。そして建立記念に施餓鬼法要を営むことになり、そこで徳行に秀でた高僧として選び出されるのが玄奘、三蔵法師である。
こうしてみると、「太宗の地獄めぐり」という民衆にもよくしられた伝説が、単に地獄という異界の紹介をするのみならず、『西遊記』物語全体のメインキャラクターをよびだす契機として活かされていることがわかります。誰でも知っている話を利用し、これを糸口にして物語世界を展開してゆくのですから、これまた考えぬかれた巧みな構成というべきでしょう。
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