連邦憲法制定会議(その3)
上村 剛 『アメリカ革命』 より

Reading Journal 2nd

『アメリカ革命』 上村 剛 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]

第3章 連邦憲法制定会議 ― 一七八七年 (その3)

今日のところは「第3章 連邦憲法制定会議」の“その3”である。“その1”で「連邦憲法制定会議」の概要があり、“その2”では議論の四段階のうち最初の起・承にあたる、大きな邦と小さな邦の対立について取り扱われた。そして今日のところ“その3”では、そのような対立を各邦が妥協を重ねて、やっと署名にこぎつけるところまでをまとめる。それでは読み始めよう。

第三段階 転 対立から妥協へ

ハミルトンの大演説

大きい邦と小さい邦が対立し議論が暗礁に乗り上げたとき、ハミルトンが六時間に及ぶ大演説をした。

ハミルトンは、ヴァージニア案もニュージャージー案にも賛同できなとし、イギリスの政体を参考にして、執行権者と上院議員を終身任期にすべきと訴えた。共和制の弱点は、外国からの誘惑に弱いところであるが、イギリスの国王のように執行権者を終身制にすれば、執行権者が外国と通じてしまう危険性が無くなると訴えた。

アメリカは、イギリスから独立したため、君主制、内閣、強大な議会といったものに対して警戒心を持っていたが、一方、ハミルトンのようにイギリス政体への憧憬もあった。

ハミルトンは、ニューヨーク代表内の意見対立という事情もあり、会議に一石を投じるためにこのような演説をした。しかし、この演説に肯定的な反応が得られず会議を去ってニューヨークに帰ってしまった。

各邦の妥協

ハミルトンの演説の翌日、何事もなかったようにニュージャージー案が採決に諮られたが、否決される。これより、大きい邦と小さい邦の調停が始まる。

連邦議会の定数の問題

連邦下院の定数は人口に応じた議席配分が決まった。連邦上院に関しては、コネティカットのエルズワールが各邦公平に一票という提案をした。これに関しては、完全に票が分かれてしまった。そのため、各邦一人の委員会で議論が続けられる。そこで、「上院を各邦一票とする代わりに、予算優先権を与える」という譲歩案がでる。それでも膠着状態は続くが、ニューヨーク邦の代表二名が会場をさり、膠着状態が崩れ、結局、下院は人口に応じた議席配分、上院は各邦二名と決まった。

ほとんど誰も納得がいかなかったことだが、これも今でも続くアメリカ合衆国のユニークな政治体制である、独自の権力バランスの基礎になった点である。(抜粋)

大統領の選出

連邦議会の選出方法の対立が終わった後、論点は大統領の選出方法と連邦最高裁による違憲立法審査に移る。

大統領については、直接選ぶ案と連邦議会が選ぶ案が対立していた。ガヴァナー・モリスとウィルソンは、議会が大統領を選ぶ場合、大統領が議会に従属してしまい立法府の専横につながるとして、直接選挙を主張した。しかし、多くの参加者は大統領をコントロールしたいと思ったためなおも議会選出を支持した。

この対立をふまえ、エルズワースは、選挙人団という案を提出する。これは多くの邦が賛同し一旦可決するが、選挙人団の人数をめぐって議論が紛糾し、ニューハンプシャー代表が意見をひっくり返したため、再び連邦議会からの選出に戻る。

違憲立法審査

次に連邦裁判所による違憲立法審査というアイデアが登場する。もともとは邦議会への拒否権として連邦議会に与えたいとマディソンが考えたものだが、それはさすがにまずいとして裁判所に持たせることになったことがきっかけである。

連邦最高裁判事の選出方法については、当初は連邦上院により選出されるべきとマディソンが主張したが、その後、マディソンはウィルソンと任命権を大統領に変更しようとした。これは反対多数で否決されたが、さらに大統領の指名と上院の助言と承認という案をナサニエル・ゴーラムとマディソンが訴える。これは意見がわかれ 協議事項となった。

第四段階 結 大団円?

憲法草案の提示

連邦上院議員の人数が各邦ごとに二名と決定した後、憲法の草案を書くことになる。そして一旦、詳細委員会を残して休会となった。

そして、詳細委員会から草案が提示された。そしてこの草案では、

  1. 外国との条約締結の権限
  2. 奴隷制
  3. 大統領の選出方法

で意見が分かれた。

外国との条約締結の権限の問題

草案では、連邦上院に権限が置かれていたが、これを大統領が上院の助言と承認において行う、ことになる。これは、後に国内の政治対立の火種となる。

奴隷制の問題

草案では、「海外との奴隷貿易に対して課税をしたり禁止したりすることは認められない」となっていた。これは、南部に譲歩して奴隷制擁護をはかっていた。ここでは、奴隷制を禁止したい北部と維持したい南部の対立というだけでなく、さまざまな意見が出てきて収集がつかなくなった。

そのご再度委員会を作って「一八〇〇年以降は奴隷輸入を禁止し、それまでの期間は航海法で完全を課す」という案が提示された、これにサウスカロライナが奴隷を輸入できる期限を一八〇八年に延長できないかと、サウスカロライナが修行し、サウスカロライナ案が可決した。

マディソンなどは、奴隷に関税を課して輸入を減少させる案にも反対した、奴隷に関税をかけるのは人間を物扱いすることになるのではないか?という懸念からである。

大統領の選出の問題

これは連邦議会による選出か、選挙人団による選出かという点でもめていた。結局、選挙人団制度が採用された。それは、直接選挙でないので人々の能力を考慮しなくともよく、連邦議会から選ぶのではないので、癒着や大統領の議会への従属も心配ない、という理由からである。

また、草案では、任期七年、再任無しが任期四年し、再任ありと修正された。

権利章典の問題

このようにすべての論点が定まったので、清書がなされ署名するだけとなる。

ここで、メイソンとゲリーから「権利章典はつくらないのか?」という疑問が提示された。

今の日本国憲法でも当たり前に書かれている人権規定が、合衆国憲法には当初存在しなかった。だから、これで人々の権利が保障されていないのではないかというわけである。(抜粋)

合衆国憲法の署名

一七八七年九月一七日の会議最終日に、憲法案への署名が行われた。しかし、なお署名を拒んだものがいた。ヴァージニア代表のメイソンの反対理由は、権利章典が欠けていることを筆頭に多岐にわたった。ゲリーも権利章典が欠けていることを問題視した。最後にヴァージニア案を提出したランドルフも拒否した。結局憲法案には、一二邦の代表三九名が署名を行った。

このようにして完成した連邦憲法案に対して、今日の高い評価とは裏腹に、会議参加者はみな不満を持っていた。・・・中略・・・会議参加者の多くの連邦案の評価は、多くの国の人間が関わりすぎたがゆえの失敗作というものであった。(抜粋)

それまでの立法者論から常識では、多くの人間が関わった国家体制の構築は失敗する。しかし、アメリカ革命が革命と呼ばれるゆえんは、連邦憲法制定会議において、常識に挑戦し、立法者たちが、国家の基礎を作り上げた点にある

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