(初出:2008-07-08 )
「中国の五大小説」(上) 井波律子 著
『三国志演義』の巻 — 興亡の歴史と物語の誕生 十二 「笑い」に託された「歴史」 — 三国の終焉
第一世代が去った後、演義の世界は急速に輝きを失っていく。唯一、物語り世界に残っているビックスターは、諸葛亮だけになる。彼は呉との関係を修復し、蜀の行政・軍事・経済の整備に専念する。そして、政権基盤が固まったころ、南方勢力の孟獲を帰順させることにより、後顧の憂いをたつ。そして、魏の皇帝曹丕が亡くなり、息子の曹叡が即位した交替期のすきをついて北伐に踏み切る。しかし北伐は足かけ八年、五度に及ぶが、諸葛亮は魏軍のリーダー司馬懿を倒す事が出来なかった。そして諸葛亮は五丈原に長期駐留するうちに持病が再発し危篤となる。彼は自らの死を公表せず、木像を用いて司馬懿をあざむくように命じ、魏延の反逆を見越して、あらかじめ手を打ち、十年先の蜀の人事にも的確な指示をして、瞑目した。
物語は諸葛亮の死後、ひたすら終末へと向かい司馬氏が司馬懿いこう三代四人がかりで、魏王朝を簒奪して立てた西晋王朝がついに三国を滅ぼし天下を統一した幕切れまで一気に到達する。
まず魏では曹叡の死後、幼い曹芳が即位すると補佐役となる司馬懿が実権を握ってしまう。その後、長男司馬師、次男司馬昭と切れ目なくバトンタッチをして魏の実権を握りつづけた。
呉では孫権が七十一歳で死去するまで実権を握りつづけるが、晩年はめっきり衰え失政が目立つようになる。そして孫権の死後、後を幼い孫亮が継ぐと、孫峻が実権を握り専横を極めた。孫峻が亡くなると孫綝が猛威をふるった。孫権の六男孫休が即位しやっと孫綝を殺害したがその孫休もまた政治力のない人であった。そして孫休死後に代わって皇帝の座についたのが、呉最後の皇帝となった孫晧である。
このように魏と呉では血で血を洗う権力闘争をしていたが、蜀は基本的に平穏だった。劉備の息子劉禅は無能な皇帝であったが、諸葛亮が作った堅固な内政機構に支えられていた。
そして、魏で反対勢力を排除して勢いをつよめた司馬昭が蜀攻略に踏み切ると、震え上がった劉禅はあっさりと降伏をしてしまう。劉備が蜀王朝をたててから四十二年、蜀はあっけなく滅んでしまう
蜀滅亡の二年後、魏の司馬昭が病死すると長男の司馬炎が後継につき、魏皇帝から禅譲を受けて即位し、晋(西晋)王朝を立てる。こうして魏もまた滅んでしまった。
呉最後の皇帝孫晧はその前年に即位する。この孫晧は暴虐型の皇帝であり、暴虐の限りを尽くし臣下にも人民にもそっぽをむかれ、司馬炎に降伏して、呉もまた滅んでしまう。
おびただしい血が流されたあげく、三国すべてが滅び終わりを迎えるわけですが、『演義』の読後感には不思議と血なまぐさい感じが残りません。その大きな理由の一つは、劉禅の描き方にあると思われます。英雄・豪傑が大活躍する物語展開からみれば、劉禅はまったく取り柄のないキャラクターですが、彼には感傷や涙とは無縁の不思議な明るさがあります。
諸葛亮の死後約三十年間も蜀は劉禅一人が皇帝でありつづけ、あまりにもあっさり降伏したため、滅びさる時も涙を流すことは無かった。その後、洛陽に移送された劉禅自身も安楽な生活を謳歌しました。
降伏した相手の前に引き出されてニコニコ笑っている劉禅の能天気ぶりは、三国すべてが滅び去る、本来の悲劇的なはずの演義世界の幕切れに、一種、あっけらかんとした喜劇的な雰囲気をもたらしています。
コメント