『ポピュリズムとは何か』ヤン=ヴェルナー・ミュラー 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第一章 ポピュリズムへの対処法(その3)
今日のところは「ポピュリズムへの対処法」(その3)である。これまで”その1“、”その2“で民主主義とポピュリズムの違いを概観し、その問題として「境界問題」、「多様性の問題」そして「どのようにポピュリズムと対応するか」について考察された。今日のところ”その3“は、それらの考察を踏まえ、アメリカ合衆国でのポピュリズムの歴史と現状についてである。それでは読み始めよう
代表の危機?アメリカの状況
ここまでの分析結果のひとつは --- おそらく直感に反するのだが --- 、アメリカ史において明示的に「ポピュリスト」を自称したひとつの政党 [人民党] が、実際においてポピュリストではなかったということである。(抜粋)
アメリカのポピュリズムは、一八九〇年代に農民を主体に始まった。
アメリカの建国の父たちは、「無制約な人民主義」に慎重だった。彼らは、人民という想像上の集合的全体が、新しい政治制度に対立する状況を避けようとした。しかし、憲法起草者は「人民の才能」を援用し憲法には多くの「人民的」要素を含むことになる。
その後、第七代大統領アンドリュー・ジャクソン(在位一八二九~三七)が、「ポピュリスト」として現れた。彼は「庶民の王」と呼ばれ反「金権」キャンペーンを展開した。
一八五〇年代には移民排斥的で反カトリック的な、ノウ・ナッシングと呼ばれる運動が生じ、後にメンバーがプロテスタントの男性のみからなる「アメリカン党」となる。
そして、一八九二年に「人民党」が形成された。その支持者は「ポップス」と呼ばれ、次第に軽蔑的に「ポピュリスト」と呼ばれるようになった。しかし、その後、自らポピュリストと名乗るようになる。
この自ら「ポピュリスト」と名乗った人たちは、農民の運動から生まれた。そして一八九〇年代には、民主党と共和党の双方と対立し組織化していく。彼らは「利害関係者」と対立し、二つの要求を生み出す。それが「人民党」の政治綱領の主な規定となる。ひとつは、サブトレジャリー(貯蔵可能な作物や不動産を担保として、農民のために低利の貸し付けを行う機関)の創設や銀貨の自由鋳造。もうひとつは、鉄道の国有化である。
人民党は、利己的な「エリート」と「人民」を対置する政治的言語を使って要求を定式化する。
人民党は、一九五〇年代の歴史家や政治・社会理論家から憤懣によって衝き動かされ、陰謀論を抱き、人種論に染まっていると非難された。しかし、彼らは、連邦上院議員の直接選挙や秘密投票のような民主的改革を主張した。そして累進課税を求めて、こんにちの規制国家と呼ばれるものの創出を求めた。これらを「平民」に訴えることにより実現しようとした。「協同的なコモンウェルス」という彼らの理想は、こんにちでなら「社会民主主義」と呼ばれるものに帰着する。
また彼らは合衆国憲法を尊重していた。(しかし合衆国ではヨーロッパと違い反立憲主義はポピュリストの基準とならない。)そして、人民党は、人民それ自体だと主張することは稀であった。
ここまで、著者はアメリカにおける人民党の歴史を追ってきたが、彼らは自らポピュリストと自称しているが、著者の定義でのポピュリストではないと言っている。(つくジー)
二〇世紀のアメリカ史において、わたしが言う意味でのポピュリズムの例がないわけではない。(抜粋)
ここで著者は、「マッカーシズム」、「ジョージ・ウォレスとその支持者」「ジミー・カーター(第三十九代大統領)」をその候補としている。しかし、
ティーパーティの興隆と、二〇一五~一六年におけるドナルド・トランプの驚くべき成功によって、本書が理解するところのポピュリズムが、アメリカ政治において真に一級の重要性をもつようになった。(抜粋)
この動きになかで「怒り」が一つの役割を果たしている。その「怒り」は、一定のアメリカ市民にとって、アメリカが文化的に極めて不快な方向に変わったという感覚に由来している。
その不快なことは、
- 社会的=性的にリベラルな諸価値の影響力が増大
- マジョリティ(白人)がマイノリティの国になる
- 「真の人民」=白人プロテスタントの伝統的イメージが社会の現実から遠ざかる
などである。
そして「怒り」には、上の文化的な観点に加えて、物質的な不満、なによりも相当数のアメリカ人の経済的利害がワシントンで代表されていないという感覚が加わっている。
ここ数十年で、開放性を支持する市民と閉鎖性を好む市民との間で溝ができている(ハンスペーター・クリージ)。このような対立軸では、アイデンティティ・ポリティックスが支配的な時に、ポピュリストが成功する。なぜならば、彼らにとって問題は資本主義の適合の問題ではなく、仕事を横取りするメキシコ人であるからである。
アメリカは、少数の情熱に衝き動かされてきた有権者の一派の異論を押さえて、より包括的で寛容で寛大な自己像を発展させてきた。
だが、高校の卒業証書しかもたず、たとえあったとしても、現在のアメリカ経済では必要とされていないスキルしかもたない男性に関しては、同様に希望に満ちがストリーは語られない。(抜粋)
バーニー・サンダースはこのような点を主張してきたようにアメリカはこのような点で構造改革が必要である。また、左翼ポピュリストとされているサンダースは、本書の基準ではポピュリストとは言えない。そもそも左翼ポピュリストは定義上あり得ないものである。
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