優良な体格と脚気問題 — 明治から満州事変まで
吉田 裕 『続・日本軍兵士』より

Reading Journal 2nd

『続・日本軍兵士』 吉田 裕 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

2 優良な体格と脚気問題 — 明治・大正期 第1章 明治から満州事変まで —兵士たちの「食」と体格

今日のところは「第1章 明治から満州事変まで」の「2 優良な体格と脚気の問題」である。前節「徴兵制の導入」では、日本の徴兵制の導入と、その問題点であった。

そして今日の部分、第2節は、徴兵により実際に入営した兵士の体格兵士の給養の問題である。明治・大正期においては、まだ小さな軍隊であるため、兵士の体格は一般の若者と比べて優良であったことが示される。そして給養の問題では、一番問題となっていた脚気について論ぜられる。それでは、読み始めよう。

明治・大正期の兵士の体格

まず明治期の兵士の体格であるが、この時期の徴兵検査を受検する壮丁の平均身長・平均体重を示す資料はほとんど存在しない。ここで著者は、生命保険加入申込者の身体測定資料のデータを紹介する。それによると一八八五(明治一八年)の申込者(二〇歳男子)の平均身長は一五七.〇センチメートル、平均体重五三.六キログラム、比体重は三四.一四である。一九一六年(大正五年)から『陸軍省統計年鑑』に壮丁の平均身長、平均体重が記載されるようになり、それによると一九一六年のデータで、平均身長一五八.五センチメートル、五一.八〇キログラム、比体重三二.六八キログラムである。

一方、入営する兵士の平均身長・平均体重については詳しいデータがある。一八八八年のデータで、平均身長は、一六五.一五センチメートル、平均体重は、六〇.四一キロである。

一般の壮丁と比べると兵士の体格はきわめて優良であり、ほぼ半世紀後の一九三〇年代前半の兵士の体格(後述)と比べてもほとんど変わらない。(抜粋)

この時期は軍隊の規模がまだ小さく、現役徴収率がそれほど大きくないためであると考えられる。

脚気と給養の問題

この時期、兵士に対する給養面で大きな問題となっているのは、脚気対策である。(抜粋)

日清・日露戦争では、脚気罹患者のなかから多数の死者がでた。脚気の原因はビタミンB1の不足だが、当初は原因がわからず伝染病説も有力だった。

海軍では、一八七〇年末から八〇年代初めにかけて、総人員の三割から四割が罹患したため、脚気研究に取り組み、白米中心の兵食に原因があると判断して、一八八四年(明治一七)に兵食改革をする。パンやビスケットの主食への採用副食(動物性たんぱく質)の充実などにより、脚気罹患者が激減した。

一方、陸軍では白米主食にこだわり、脚気の拡大を防止できなかった。しかし、麦飯が有効であることが知られるようになり、一九一三年(大正二)の改正で、白米と共に麦飯を採用し、さらに一九一三年(昭和四年)には、精米をビタミンが豊富な胚芽米に改める。それにより、脚気罹患者は大きく減少した。

一方、陸軍では白米主食にこだわり、脚気の拡大を防止できなかった。しかし、麦飯が有効であることが知られるようになり、一九一三年(大正二)の改正で、白米と共に麦飯を採用し、さらに一九一三年(昭和四年)には、精米をビタミンが豊富な胚芽米に改める。それにより、脚気罹患者は大きく減少した。

兵士たちを魅了した白米

ここではまず当時の民衆の食生活を概観している。近代になってから白米が普及したと言っても、農村では、あわひえなどの雑穀ざっこくを米に混ぜた雑殻や大根・芋などを混ぜた「かてめしがかなりの比重を占めていた。

一九二一年(大正一〇)から二七年(昭和二年)の全国の農村の調査では、農民の主食は白米だけが三二%、米と麦の混食が五八%、米・雑殻・芋・かぼちゃ・大根などの混食が一〇%であった。そして米が完全に主食になるのは、戦後の一九五〇年代後半である。

そんな食生活の現実があるだけに、主食の白米は入営してきた多くの兵士にとって、大変魅力的なものだった。軍隊に入って初めて白米を食べたという兵士もいたことに、留意する必要がある。(抜粋)

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