『続・日本軍兵士』 吉田 裕 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
3 海軍先進性の幻想 — 造船技術と居住性軽視 第4章 人間軽視 — 日本軍の構造的問題
今日のところは、第四章「人間軽視 — 日本軍の構造的問題」の第三節「海軍先進性の幻想」である。旧海軍の造船技術は、先進的であったとする傾向がある。しかし、これは幻想であったことをここではテーマとしている。日本の造船技術は、模倣と拡大と無理が大部分の遅れたものであった。それでは、読み始めよう。
造船技術は先進的だったのか
旧海軍の造船官には、高度経済成長と「造船大国日本」の自身に支えられて、日本海軍の造船技術の先進性を強調する傾向が強い。(抜粋)
このような論調の書物として、海軍技術中将・福田烈の追悼集『造船技術は勝てり』(西島亮二編集)がある。この中には、浅沼弘のように「造船技術も敵の造船技術に負けた」と率直に書いている人もいるが、全体として「我勝てり」という論調が多数派である。
こうした中、一貫して海軍の造船技術に独創性が欠けていたと指摘しているのが、牧野茂である。彼は、日本の造船技術は「模倣」と「拡大」と「無理」が大部分を占めていたと述回している。また、駆逐艦は消耗品で仕方ないが、日本は乗員まで消耗品にしてしまったと言い、その設計面で、兵員の生命や安全に対する配慮が欠けていたことを指摘している。
居住性の軽視と一般の兵員への差別
設計面の問題点として居住性の軽視がある。海軍の艦艇は、大口径砲、大型魚雷の装備などの戦闘機能を優先させたため、居住性が極端に切り下げられた。
この居住性は、兵員が起居する居住区だけでなく、給食、サービス区画、医療・衛生区画を含めた広義の居住区も圧縮されていた。そして、士官と下士官・兵士(水兵)との間の格差が大きく、士官にはある程度の居住スペースが認められていた。
一般の兵員が起居する兵員室は、「食事と就寝を兼ねて使用」する方式であり、士官と下士官・兵士とは調理室も別々だった。
日本海軍には、米英軍と異なり、居住性の良否が戦闘力を左右するという発想にとぼしかった。(抜粋)
兵士の居住区は、食事の場でもあり就寝時には天井からつるしたハンモックの中で眠った。欧米列強では、すでに兵士の健康に配慮して、第一次世界大戦前後よりベッドを導入していた。日本海軍はその点でも大きく立ち遅れていた。
「松型駆逐艦」の居住性
戦況が悪化すると、海軍は設計を徹底的に簡略した小型駆逐艦である「松型駆逐艦」の製造に踏み切った。この駆逐艦は、天井や壁に防熱材が無く、鉄板に防火塗料が塗ってあるだけであり、暑さ寒さが直接伝わるような居住性の悪いもので、居住区は帆布を床に引いてごろ寝する状態であった。その居住区には「しらみ」も発生した。さらに、真水の搭載量が少ないため入浴ができず不潔を極めた。
大型艦艇の居住性の悪化と「世界に類ない非常対策」
米軍機による損害が急増するとなダメージ・コントロールの観点から徹底的な防火対策が行われた。そのため大型艦艇の居住性も悪化した。
防火対策として、士官室からのカーテン・ソファーの撤去、兵員室では食卓方式が廃止され、甲板上に帆布(または茣蓙)を引いての食事、毛布にくるまっての就寝、などが行われた。これは、「世界に類ない非常対策」であった。これを実施するにあたっては、軍医長から反対の意見がなされたが、非常時であるという理由で押し切られている。
しかしダメージ・コントロールという面でも、アメリカ海軍と比較すると日本海軍は大きく遅れていた。
苛酷な潜水艦の艦内生活
アジア・太平洋戦争開戦時点で、日本海軍はアメリカ海軍に匹敵する六五隻の潜水艦を保有していた。しかし、海軍は通商破壊戦(輸送船や貨物船、タンカーなどへの攻撃)を重視せず、主力艦の攻撃に潜水艦を振り向けたため、返り討ちにあい、大きな戦果をあげられなかった。
潜水艦においては狭い艦内で多数の乗員が長期にわたって作戦行動に従事するため、その艦内生活は過酷さを極めた。戦闘海面では、敵意に位置を探知されないように、通風、冷却器を停止した「無音潜航」を余儀なくされた。
このため、館内温度はたちまち三〇度以上、湿度は一〇〇%となり、二酸化炭素濃度も上昇する。そして、警戒にあたる当直員以外は、電灯の消えた薄暗い艦内で息をひそめて横臥し続けることをしいられた(抜粋)
また、生鮮食料品の不足も深刻だった。作戦は一ヵ月、二ヵ月続くが、生鮮食料品は三、四日で底をつき、あとはあまり味が変わらない潜水艦用の缶詰だけとなった。この缶詰食は「缶臭が鼻につき、肉でも魚でも柔らかすぎて歯ごたえがなく、乗員からはあまり好まれなかった。そして、「潜水艦糧食」は、高カロリー食を採用したという問題もあった。艦内では胃腸の消化吸収能力にも限界があり、代謝の過程で肝臓、腎臓をはじめとする各器官の負担を増大させた。
そのため潜水艦の乗員は、健康を害する者が少なくなかった。戦時中の調査によれば、「ビタミンC減少症、中等程度の肝機能障害、皮膚病と多発、極度の疲労、さらに精神神経性疲労」などがあった。また、長い行動期間が終わると身体は歩行が困難になるほど疲労困憊した。
アメリカ海軍潜水艦との比較
ここで著者は、日本海軍の潜水艦とアメリカ海軍の潜水艦を比較している。
日本海軍には、十分な居住性を確保し兵員の健康・体力の維持に配慮することが戦闘力の維持・増進につながるという発想が欠如していた。この点は、アメリカ海軍と比較すれば明らかである。(抜粋)
アメリカの潜水艦においては、人間性を重視した機能や環境条件があった。ガトー級潜水艦では、快適さと居住性が重視され、空調の完備、洗濯機と真水のシャワーが備えられていた。設備の整った調理室では、アイスクリームや焼き立てのパンなどが提供された。またレコードプレーヤーや映写機などの娯楽設備まであった。
ドイツ海軍Uボートの徹底検証
ドイツ海軍の潜水艦Uボートは、徹底した通商破壊戦を実施することにより、大きな戦果を残した。ヒトラーはインド洋上で日本軍が通商破壊戦を行うことをきたしい、Uボートを2隻寄贈している。
このうち一隻は日本に無事届き「呂五〇〇潜」と命名された。もう一層は、日本に向かう途中で連呼軍により撃沈されている。
このUボートについて日本側は調査委員会を作って徹底的に調査した。その結果、この艦をモデルにした潜水艦を大量に建造することは技術的に無理であること判明した。
この軍事技術面の日独の差は、居住性面でも関連し、「呂五〇〇潜」が乗員四八名に対して、ほぼ同じ大きさの日本の潜水艦(中型「呂三五潜」)の乗員は六一名である。乗員が少ない分「呂五〇〇潜」は居住性にゆとりが生まれた。
また、「呂五〇〇潜」は「呂三五潜」と比較して、攻撃力、急速潜行性、静寂性、堅牢性、量産性に優れ、少ない乗務員で実践能力ははるかに高かった。
居住性の劣悪さは、設計思想の問題であると同時に、軍事技術面での日独格差の結果でもあった。(抜粋)

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