かけ声ばかりの本土決戦準備 — アジア・太平洋戦争末期
吉田 裕 『続・日本軍兵士』より

Reading Journal 2nd

『続・日本軍兵士』 吉田 裕 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

4  かけ声ばかりの本土決戦準備 — 日米の体格差 第3章 アジア・太平洋戦争末期 — 飢える前線

今日のところは、第三章「アジア・太平洋戦争末期」の最終節「4 かけ声ばかりの本土決戦準備」である。米軍の攻勢により戦争末期には本土決戦の準備が始まった。しかし、本土決戦のために配備された兵士たちは、食料を盗むなど住民から反感を買った。そのような兵士の行動とボロボロの装備からこんな軍隊で勝てるのだろうかと住民から不安視されていた。それでは読み始めよう。

本土決戦のための軍隊の進駐と兵士達の盗み

米軍の攻勢が強化されると沖縄には防衛体制を固めるため日本軍の大部隊が進駐した。

進駐した兵士たちは、農作物を荒らし、鶏や豚を強奪するなど、あたかも占領地であるかのような行動を繰り返し、住民の反感を買った。(抜粋)

米軍がフィリピンを制圧し、日本本土と東南アジアとの間の海上交通路を完全に遮断すると、徹底抗戦を主張する陸海軍は、天皇の裁可を得て強引に本土決戦の準備を始めた。

そして、米軍の上陸が予想される南九州、関東地方に多数の部隊が進駐する。その中には、兵器だけでなく、軍靴や飯盒、水筒などの基本的装備すら行き渡らない部隊もあった。

同時に陸海軍内でも食糧不足が深刻化する。そのころ陸軍省兵務課では「未利用諸物資の食品化」、つまり、これまで食料と見なしてこなかった野草貝類昆虫などの食品化提唱された。

重要なことは、飢えた兵士たちの行動が、国民との間に摩擦や軋轢を生み、「皇軍」の威信を低下させたことである。(抜粋)

食料はなく、内地でも兵士の行動が匪賊化し、さらに被服も「私物」の使用を公認した軍隊はその正統性の危機を示していた。兵士たちの盗みは食料にとどまらず、燃料となる木材の調達にも及んだ。

体格・体力の低下と日米格差

兵士達の体格や体力はさらに低下し、戦前の体重六〇キロから戦争末期には五四キロにまでなった。中国に駐屯していた部隊の記録では、古参兵が概ね五六キロなのに対して、初年兵は五〇キロに過ぎなかった。そのため、未教育補充兵が現地に着くまでに八割が落伍している。

ここで著者は、アメリカ軍の給養・体格について触れている。アメリカ軍兵士の一日当たりのカロリー摂取量は、軍事基地で四三〇〇カロリー、前線では四七五八カロリーだった。内容も日本軍からすれば贅沢なほどであった。また、後方からの食事が途絶えた場合の非常食、個人戦闘食も充実していた。

体格に関しては、第一次世界大戦では平均身長は一七一.五センチ、平均体重は六四,三キロ、第二次世界大戦ではそれぞれ一七三.〇センチ、六八.三キロである。これは日本陸軍と比べると身長で八センチ高く、体重で八キロ重い

給養の豊かなアメリカ軍と異なり、アジア・太平洋戦争期の日本軍は、兵士に最低限の生活を保障することに失敗することによって、自滅の一歩手前まで追い詰められた軍隊だった。(抜粋)

コラム4 戦争の呼称を考える — 揺れ続ける評価

ここでは、著者がアジア・太平洋戦争と呼んでいる対米英の戦争の呼称について考えている。

まず、全国戦没者追悼式での天皇の「おことば」にある「さきの大戦」であるが、これは日中戦争以降、敗戦までをひと連なりの戦争という意味となる。そのため、対米英の戦争という意味ではないので注意必要である。

次に「太平洋戦争」という呼称がある。これは、GHQが「大東亜戦争」という呼称を禁止し、その代わりに用いたものである。これは、アメリカ側の戦争観をストレートに表現した米英中心のものである。

しかし、実際は、この戦争の全期間を通じて、中国戦線で中国は抗戦を続け、欧米の植民地であった東南アジアにおいても戦争が行われていた。こうした意味で「アジア・太平洋戦争」という呼称を使用する人がいる。そして著者もその一人である。

もう一つの有力な候補は、当時の日本が正式に採用していた「大東亜戦争」である。しかし、この呼称には、アジア解放のために日本を盟主とした新たな勢力圏の建設、「大東亜新秩序建設」という意味があり、日本の戦争を正当化する意味合いがある。

これに対して著者は、木坂順一郎の指摘を紹介している。木坂によれば、戦争の呼称には、交戦国名によるもの(普仏戦争など)と、一定の価値判断を含むものがあり、価値判断を含むものは、アメリカ独立戦争、イタリア統一戦争など「独立」「統一」などの価値判断が、一定の普遍性をもちかつ「明示的もしくは暗黙の」承認がある。この基準に照らし合わせると「大東亜戦争」は、日本側の一方的な主張であって普遍性に欠けている

また、「大東亜戦争」の呼称を支持する人の中には、当時の公式呼称を尊重すべきであるという意見があるが、「日清戦争」「日露戦争」「第一次世界大戦」は当時の呼称ではなく、説得力がない。

いずれにせよ、戦争の呼称が定まらないのは、日本人のなかでかつての戦争の評価が常に揺れているからだろう。地道な議論を積み重ねていくなかで、合意を形成していくしかない。(抜粋)

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