『続・日本軍兵士』 吉田 裕 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
1 根こそぎの動員へ — 植民地兵、防衛招集、障害者 第3章 アジア・太平洋戦争末期 — 飢える前線
今日から「第3章 アジア・太平洋戦争末期」に入る。今日のところは第1節「根こそぎの動員へ」である。アジア・太平洋戦争の末期「絶望的抗戦期」に入ると、日本は劣勢となり、陸海軍の兵力は急速に膨張していった。その人員を充足するために、新たな措置が取られた。ここでは、そのような無理な増員に対応するための植民地兵、防衛招集などの実態にふれ、さらに障害者の動員の問題も掘り起こしている。それでは、読み始めよう。
植民地兵の動員
アジア・太平洋戦争の開戦後、日本は、東南アジアから太平洋にかけての広大な地域を占領した。しかし、ミッドウェー海戦の敗北に形勢は逆転し、戦況は「絶望的抗戦期」になる。そして、そのように戦争が激化し長期化するなかで、兵力は急速に膨張していった。
これは、朝鮮や台湾での「志願兵」の募集や、徴兵制の導入である。ここで「志願」とはいえ、「志願」することを強制された側面もある。
日本軍兵士として戦争に動員された朝鮮人と台湾人の数は、約五万名である。(抜粋)
この植民地からの動員については、『日本軍兵士』にも記述があった(ココ参照)。それによると、政府はこれに消極的であった、とある。その理由としては
- 植民地支配に不満を持つ被支配者を軍隊に組み入れることの恐怖
- 兵役義務を課した場合に「反対給付」として参政権の付与を余儀なくされることの危惧
であるらしいよ。(つくジー)
防衛招集による大量招集
さらに陸軍防衛招集規則による防衛招集がある。これは空襲に備える防空招集と敵の小部隊の上陸に備える警備招集の二種類があった。これにより、一七歳以上四五歳までの男子を大量に招集した。
この防衛招集は、実際に沖縄戦において行われ、防衛隊員達は武器や軍服もほとんど与えられずに後方支援的な土木作業などに従事して多数の死者を出した。
さらに、兵役法を改正し徴兵適齢年齢の引き下げ(二〇歳から一九歳)、兵役に服する年齢の上限の引き上げ(四〇歳から四五歳)が行われた。
そして、本土決戦に備えるため義勇兵役法が作られ一五歳から六〇歳までの男子と一七歳から四〇歳までの女子が、義勇兵役に服することになった。この義勇兵役に属する者は、必要に応じて国民義勇戦闘隊に編入されることになっていたが、実際には、大部分の地域で、国民義勇戦闘隊の編成がなされないまま敗戦を迎える。
視覚障害者たちの動員開始
このような状況のなかで視覚障害者の動員も行われた。戦時下では、良質な人的資源の対極におかれた障害者は、「無用な存在」と位置付けられた。
障害者の「排除」が戦時下の基本力学である。(抜粋)
しかし、戦局の悪化により、障害者の動員も始まる。この障害者の動員として、盲学校の生徒たちの陸海軍航空兵へのマッサージ要員として派遣した技療手制度(身分は軍属)がある。
このような動員の背景として、障害者教育の関係者が視覚・聴覚・発話障害者の採用を軍に働きかけていたという事実がある。そしてそれは、軍事的必要性からではなく「盲聾唖者」の「忠誠奉公の精神」を喚起するための手段として構想された。


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