『続・日本軍兵士』 吉田 裕 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
3 統制経済へ — 体格の劣化、軍服の粗悪化 第2章 日中全面戦争下 —拡大する兵力動員
今日のところは「第2章 日中全面戦争下」の第3節「統制経済へ」である。日中戦争が長期化し全面戦争となるにつれて、日本では統制経済が行われた。それによって国民生活は悪化し、それは兵士の体格や軍服の粗悪化など様々な影響を与えた。それでは読み始めよう。
総力戦の本格化と統制経済
日中戦争の全面戦争への転化に伴い、日本は総力戦の時代に突入する。(抜粋)
総力戦においては、国家の経済力、労働力、技術力、政治力などの総合した力が必要であった。日本では、日中戦争以降、全面的な統制経済に移行し、軽工業中心の経済を重化学工業中心のものへ再編成しようとした。そして民需産業を切り捨て、軍需産業を拡充する政策が取られる。それは、国民生活の悪化と直結していた。
国民生活の悪化を象徴しているのは、配給制度の強権的導入である。(抜粋)
配給制度は、一九四〇年に六大都市で砂糖とマッチの配給制から始まり、四一年には六大都市での米の配給制が始まっている。
著者は、国民生活の悪化を見るために国民一人当たりの栄養量を示している。それによると四〇年、四一年、特に米の配給制度が本格化する本一年の四半期の落ち込みが大きい。
軍隊の給養、質の低下
この時期の軍の給養についての資料は見当たらないとして、著者は軍隊は国民生活よりも優先されるため、絶対量は日中戦争前から少し低下した程度だろうと推察している。しかし、副食の減少である。そして幾つかの資料から副食が減少していることを挙げ、
兵食の質という面では、日中戦争の時期にかなりの低下があったことは間違いないだろう。(抜粋)
と言っている。
陸軍のパン食の減退と小麦の輸入
陸軍のパン食については、この時期に「赤信号」が灯った。(抜粋)
これには、小麦の輸入の問題が大きく絡んでいる。
一九二〇年代に日本社会では都市部を中心にパン食や洋菓子が普及し、農村でも大麦や雑穀に代わり麺類の消費が拡大する。その結果、アメリカ産、カナダ産、オーストラリア産の小麦の輸入が増大する。ところが日中戦争勃発前後から輸出入に対する国家統制が強化され、「不急」の食料品とみなされた小麦の輸入は事実上不可能となった。つまり、パンの生産そのものが難しくなったのである。
軍服の劣化、絨製から綿製へ
同様のことが軍服にも起こった。従来は冬用の軍服の素材は絨製であったが、これがこの時期に綿製へと切り替えられている。これは毛織物の材料である羊毛は輸入品であり、大部分がオーストラリア製だったことに由来している。この羊毛の輸入は、軍需用で優先されていたが、その輸入量は次第に削減された。さらに、第二次世界大戦が勃発すると英国政府はオーストラリア産の羊毛を統制下におき日本向けの輸出は大きく制限された。
そのため、絨製だった冬用の軍服は綿製へと切り替えられた。しかし綿製の軍服は絨製のものより質の面で大きく劣っていた。
向上しない体格と結核の蔓延
著者は、兵士の体格の問題を考察するために、この時期の壮丁の体格についての資料を挙げて説明している。
日本の戦争が総力戦へと向かうにつれて、国民の体力・体格の向上が国家的な課題となった。日本政府も厚生省をつくり、社会福祉や公衆衛生の増進に取り組む。しかし、実際には壮丁の体格はほとんど変わらず、都市部において体重の低下が見られた。そのため、軽量の青年でも徴集せざるを得なくなった。
またこの時期の問題として、結核の蔓延も重要である。軍隊では、この時期に結核患者が急激に増大していった。
一般国民の食生活が悪化し、入営してくる兵士のなかに体力の劣っている弱兵が増えていることの反映だろう。軍隊は、典型的な集団生活の場であり、まさに結核の温床だった。(抜粋)


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