エルンスト・H・ゴンブリッチ 『若い読者のための世界史』
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
三二 その間に東欧で起こったこと
今日のところは第32章。ここしばらく、ドイツ・フランス・イギリスを中心とした話で合ったが、ここでは、その頃の東欧で起こったことをまとめて書かれている。ここでは30年戦争後の二人の王の話。すなわちトルコのヨーロッパ侵略の話、ロシアの話、そして、スウェーデンの話である。
そのころハンガリーは、ドイツ皇帝の支配下にあった。ハンガリー人にはプロテスタントが多く宗教戦争では皇帝に敵対していた。三十年戦争後もハンガリーの貴族たちはしばしば反乱を起こし、当時ブダペストに地方総督府がおかれていたトルコに助けを求めた。トルコの支配者(スルタン)は喜んで求めに応じる。一六八三年、スルタンは巨大な軍隊を編成して宰相カラ・ムスタファの指揮下オーストリアに向かう。彼らはウィーンを取り囲み、ウィーンは持久戦を強いられた。そして、これ以上耐えられないというギリギリのところでやっと皇帝軍が到着した。そしてトルコ軍は南へと退却する。
皇帝軍はトルコ軍が引き上げた後もトルコ軍と戦い続け、サヴァア公オイゲンの指揮で数年の間にトルコの支配下であった国々を次々と攻略していった。
またロシアでは、一五八〇年ころイヴァン恐怖王(雷帝)が支配していた。彼はひどいやり方でその地を支配していた。彼らもキリスト教徒であったが、東ローマ帝国の司教あるいは総主教の下についていて、西側とはあまり関係を持たなかった。
一六八九年に新しい支配者ペーター(ピュートル)大帝が王位につく。彼はイワン雷帝と同じくあららしく残酷であったが、ロシアを西側諸国と同じように統一した国家にしようと決心する。彼はヨーロッパに向け旅立ち、造船技術を学び故郷に帰る。そして、荒涼な沼地であった地に港を作りザンクトぺテルスブルク(聖なるペーターの城塞)と名づけた。ペーターは、ほんもののヨーロッパ人になるようにロシア人に要請をする。
ロシア人はこのころからゆっくりとだがヨーロッパ人になる。しかしそのときから、権力をめぐるヨーロッパ人の争いに巻き込まれることになった。
スウェーデンでは、三十年戦争後に北ヨーロッパ最大の強国となっていた。このころ国を支配していたのは、途方もない冒険を夢見ていたカルル十二世であった。かれはポーランドを占領した後、ロシアに軍を進めた。そして一七〇九年の冬にロシア軍に敗れトルコに逃げ込みそこに滞在する。一七一四年に故国スウェーデンで国民はトルコでいいまだに冒険の夢をみている王と縁をきり、他の王をえらぶことをのぞんでいるという知らせを受ける。彼はたったひとりの共をつれて馬に乗り当時スウェーデン領だった北ドイツのシュトランズントの要塞に十六日間で引き返した。町の人たちはこの大胆な行為に興奮した。そして以後誰も他の王を選ぼうとしなかった。彼はトルコに引き返し、さらに戦争を続けた。彼はイングランド、ドイツ、ノルウェー、デンマークを敵にして戦った。
しかし、一七一八年、あるデンマークの要塞をかこんでいるとき、彼は戦死した。しかし多くの人たちは、彼の部下のひとりが彼を撃ったといった。それほど人びとは、戦争に嫌気がさしていたのだ。(抜粋)
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