[読書日誌]『すべてには時がある 旧約聖書「コヘレトの言葉」をめぐる対話』
若松英輔、 小友聡 著 [全12回]

Reading Journal 2nd

『すべてには時がある 旧約聖書「コヘレトの言葉」をめぐる対話』 若松 英輔、 小友 聡 著、‎NHK出版(別冊NHKこころの時代宗教・人生)、2021年
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

はじめに

やっと『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』を読み終えた。同じく小友の『コヘレトの言葉を読もう』と共に2冊読み終えた。今日から3冊目の『すべてには時がある 旧約聖書「コヘレトの言葉」をめぐる対話』 を読み始めようと思う。

これらの本は、「NHKこころの時代」-「それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」」の放送を見てなるほどと感銘を受けたので、以前に一度読んだ。
(なぜ再読しようと思ったかは、ココを見てね)

この三冊は、
『コヘレトの言葉を読もう』・・・・「コヘレトの言葉」の解説書
『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』・・・・「NHKこころの時代」のテキスト
『すべてには時がある 旧約聖書「コヘレトの言葉」をめぐる対話』・・・「NHKこころの時代」の対談の記録
である。
さて、読み始めよう。


今日のところは、はじめにである。この本は、若松英輔と小友 聡の対談の記録であるが、「はじめに」は小友が「おわりに」は若松がそれぞれ担当している。

本書は、NHKのEテレ「こころの時代」シリーズ「それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」」の放送終了後に、これを編集し直し書籍化したものです。
テレビ放送は思いがけず、多くの反響が寄せられ、それに応える新しい企画として本書が生れました。(抜粋)

まず冒頭でこのようにこの対談が書籍化された経緯が書いてある。そして、この対談の成功には、収録が始まったころに感染が広がった新型コロナウィルスが関係しているという。

このことが、「コヘレトの言葉」が現代に向けて発する意義を逆噴射してくれたように思います。生きづらい閉塞した時代に「生きよ」と語りかける「コヘレトの言葉」が、コロナ禍で窒息しそうな状況の中で、不思議な励ましの杖になりました。(抜粋)

小友は若松との対談で「コトバ」ということを深く教わったとしている。

筆者はコヘレトの「言葉」を聖書学的に解説しながら、「言葉」でなく、「コトバ」に出会わされた経験をしました。若松さんとの対談によって、いつの間にか目に見えない「コトバ」に引き寄せられました。それは、若松さんがカトリックの信仰者であり、筆者がプロテスタントの信仰者であることと関係しているかもしれません。(抜粋)

若松は、心に届く言葉は、宗教的に精錬された教理でも哲学的なテーゼでもなく、黙って人の手を握るという行為が心に届く「コトバ」である、としている。

そういう目に見えない「コトバ」をコヘレトが発し、そういう「コトバ」が、生きづらい時代に求められ、また聖書の中に確かに見出されることに筆者は改めて気づかされました。新鮮な「コトバ」との出会いでした。(抜粋)

若松との対話で小友が「コトバ」に出会ったといのは、うまく説明できないけども、なかなか味わい深い。「コヘレトの言葉」を何十年も研究している研究者が、対談を通してまた新たな出会いがあるというのもまだまだ奥が深そうですよね。「若松さんがカトリックの信仰者であり、筆者がプロテスタントの信仰者であることと関係しているかもしれません。」の部分は、ちょっと分かりづらいのですが、この放送のテキスト『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』の最後にある若松の特別寄稿を読むと、カトリックでは、聖書はミサで朗読するものであり一人で読むものではなかった、と書いてあるので、そのことだろうと思う。「コヘレトの言葉」が一人で読む聖書の「言葉」でなく、ミサでの朗読のように天から降りそそいでくるような「コトバ」として捉えられたということだろうと思った。(つくジー)


関連図書:
小友 聡 (著) 『コヘレトの言葉を読もう 「生きよ」と呼びかける書』 日本キリスト教出版局 2019年
小友 聡 (著) 『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』 ‎NHK出版 (NHKこころの時代)、2020年

目次 
はじめに [第1回]
第一章 「価値」が反転する書 [第2回][第3回]
第二章 「束の間」を生きる [第4回][第5回]
第三章 「時」を待つ [第6回][第7回][第8回]
第四章 「つながり」を感じる [第9回][第10回]
第五章 「言葉を」を託す [第11回][第12回]
おわりに

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