『ストレスの話 メカニズムと対処法』 福間 詳 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第Ⅰ部 ストレスとは何か
第2章 ストレス障害とPTSD
二.PTSDとその歴史
第2章「ストレス障害とPTSD」の1節(前半、後半)では、「ストレス障害」について取り扱った。今日のところ2節「PTSDとその歴史」では、表題のとおり「PTSD」を取り扱う。ここでは、戦争とストレス障害の研究の歴史を振り返るとし、米軍のArmy Regulation 「War Psychiatry」を資料として記述するとしている。
戦闘行動などに起因するストレス障害は、PTSDおよびASDにまとめられる、ここに至るまでには、様々は概念が提唱されている。
合衆国陸軍の歴史は、植民地軍に始まる。当時は精神医学や精神衛生職の分野はなく、従軍牧師が兵士の精神的、道徳的健康をサポートした。このころの精神障害は今日の精神障害と同じものが多くみられるが、特徴的なのはアルコール関連障害が多く一八二八年の陸軍の死者の二分の一以上を占めている。
一八八九年にオッペンハイム(Oppenheim)は「外傷性神経症」という用語を提唱している。一八九五年にシュトリュンペル(Strumpell)はこの外傷性神経症は兵士の欲求や逃避願望に基づく、という心因説を唱えその後の賠償神経症の概念の基礎となる。
第一次世界大戦時には、砲弾の炸裂により、錯乱または四肢麻痺などの症状を呈する兵士が多く出た。当初は爆風による脳損傷と考えられ「砲弾ショック」と呼ばれたが、第一次世界大戦後半からは、心理的影響という認識がなされ「戦争神経症」という用語が用いられるようになった。そして、戦闘神経症という概念が普及の結果、第一次世界大戦以後は、その予防と治療のための理論やプログラムが急速に研究された。
最初の戦争精神衛生部隊は日露戦争時(一九〇四~〇五)のロシアに存在したといわれる。ロシアの赤十字社は兵士の精神衛生プログラムを立てて精神神経科症例を記録する制度を確立する。
一九一八年、サルモン(Salmon)は、「即時(immediacy)」、「近接(proximity)」、「期待(expectancy)」の治療の三大原則を打ち立てる。彼は合衆国陸軍のアメリカ遠征軍精神医学部長に任命され、三大原則にのっとった計画を実行する。
具体的には「早期に戦闘地域の現場において対処し、兵士としての誇りと存続を保証する」という治療理念です。(抜粋)
そしてこの概念がその後の米軍のストレスコントロールの基盤となる。
このように第一次世界大戦では戦闘時における兵士の精神障害への関心が高まり、その対処法・技法が一躍発展した。しかしその後米軍では、徐々にその関心が薄れていき、一九三九年、師団精神科医は不必要と廃止された。
第二次世界大戦では戦争神経症の発生を予防するために、入隊前にスクリーングテストが行われ、「神経症質特性」の徴候を持つ徴集兵を不合格とした。この結果二五〇万人を不合格とした。しかし、この試みはまったく成果を上げられなかった。
チュニジア戦争(一九四三年)では、前方治療方法が再び行われるようになった。
この時、戦争神経症患者の後送を避け(近接)、兵士を休ませたり、すぐに兵士として部隊に戻れる(期待)と示したりする四八時間の治療(即時)を実践し成果を上げた。
その後に、米軍では再びサルモンの前方治療の原則に立ち返って戦地でのストレス障害のプログラムを立てなおすことになる。
一九四三年、ブラッドレイ(Bladley)将軍は、精神科医などの勧告により、精神科患者収容を七日間と定め、戦争による精神科症例に対する最初の診断として「消耗」(exhaustion)という言葉を指定しました。また、再び師団に精神科医が早急に配属されることとなりました。この結果、イタリアの戦線でその真価を発揮したのです。(抜粋)
第二次世界大戦後半となると、治療体制も整い構造化されたプログラムによって90%の戦線復帰の成果を上げる。
朝鮮戦争においては、第二次世界大戦の教訓を受けて、さらに工夫がなされた。その一つがポイントシステムの導入で、戦闘時間と戦闘任務をポイント制として、定期的に休息と部隊の九~一二ヵ月ごとのローテーションを開始する。また、移動式のメンタルヘルス支援組織としてKOチームを編成した。
ベトナム戦争時もKOチームが派遣され、身体的外傷に関しても心理支援を行っている。ベトナム戦争初期には戦争神経症例は極めて少なかった。しかし、ベトナム戦争は、ジャングル戦のため環境が劣悪だったのに加え、敵の攻撃がゲリラによる奇襲攻撃だったため、明確な戦線がなく後方地域の確保ができなかった。そのため当初功を奏していた精神科プログラムも戦争の泥沼化によって重大な問題が生じる。
アルコール乱用、麻薬乱用、覚醒剤乱用、上官殺しといった兵士の行動障害が目立ち始めたのです。こうした行動障害の増加はボーマン(Boman)が一九六八年のテト攻勢後に米軍の軍事的敗北が濃厚になってからの現象であると指摘しています。この問題は後に復員兵の自殺、犯罪の増加、浮浪者への移行などの社会的問題にまで発展することになりました。(抜粋)
シェイタン(Shatan)はベトナムからの復員兵を調査し彼らに認められる心理的問題をベトナム後症候群(post Vietnam syndrome)と名づけ、この心理的特徴は、復員した兵士のみならず戦闘中の反社会的行動や、薬物乱用とも関連していることを指摘した。
一九八〇年にアメリカ精神医学協会は統計診断マニュアルの第三版(DSM-III)を発刊して、その中に外傷性ストレス障害(post-traumatic stress disorder)の診断名を盛り込んだ。このように外傷性ストレス障害(PTSD)の診断名の成立には、ベトナム戦争の復員兵の問題が強く関係している。
外傷性ストレス障害は、フロイトの「外傷神経症」が発展したものだが、急性、慢性及び遅発性を含む戦争ストレス障害の一部といえる。大事なところは、PTSDは、あらゆる心理的外傷に生ずるということである。
その症状が持続した場合には固定状態となり反応性が強化され継続的なものとなる。そのため、症状に対して初期対処とその後に少しでも陽性化を回避するための予防措置が大切である。
関連図書:Army Regulation 「War Psychiatry」
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