『それでも生きる 旧約聖書「コヘレトの言葉」』小友 聡 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第1回 「コヘレトの言葉」とは何か(後半)
「コヘレトの言葉」とは何か(前半)につづき、ここからイスラエルの歴史の話となる。
- 紀元前1900年頃、アブラム(アブラハム)はが「あなたの子孫にカナンの地を永遠に与えようと」と預言を授かる。カナンの地に定住したアブラハム一族は、孫のヤコブの代から発展し、神から「イスラエル」の名を賜り、十二人の子どもをもうける。
- 紀元前1700年頃、カナンの地に飢饉が起こり、イスラエル(ヤコブ)の一族は、エジプトに永住する。数百年が過ぎるとイスラエルの民が迫害を得るようになる。
- 紀元前1280年頃、神はモーセ「私の民を救い出せ」という預言授ける。イスラエルの民を引き連れてエジプトを脱出する。一行がカナンの地を目指す途中、シナイ山の頂上で神から十の戒律を授かる「モーセの十戒」。一行は、カナンにたどり着いたがカナンに入る事が許されず、荒れ地を放浪する。モーセの死後、後継者のヨシュア率いるイスラエルの民がカナンの地に侵攻し自らの土地とする。
- 紀元前1003年、二代目のイスラエルの王 ダビデは、エルサレムを首都と定める。
- 紀元前965年、ソロモンが三代目の王になる。この時代に旧約聖書の「出エジプト記」などが書かれ、知恵文学の「箴言」もこの頃に書かれた可能性がある。安定したソロモン王の治世だからこそ、楽観的な「箴言」の知恵が生まれたと考えられる。
- 紀元前926年、ソロモン王の死後北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂する。
- 紀元前722年、イスラエルはアッシリア王国に滅ぼされる。
- 紀元前597年、ユダ王国は新バビロニア王国に占領され、1万人以上の民がバビロンへ強制連行される(第1回目の「バビロン捕囚」)。
- 紀元前587年、エルサレムが陥落しユダ王国が滅びる。多くの捕虜がバビロンに連行される(第2回目の「バビロン捕囚」)。以後、囚われた人々は「ユダヤ人」と呼ばれ、まとまった地域に居住した。
ユダ王国の滅亡は、イスラエルの民にとって、民族としての存在を否定される崩壊体験でした。何しろ「神の民」が神殿も国家も失い、滅ぼされるのですから。この体験が、旧約聖書が成立する後押しとなりました。(抜粋)
このバビロン捕囚という経験により旧約聖書の編纂が始まった。
- 紀元前539年、新バビロニア王国がアケメネス朝ペルシャによって滅ぼされ、バビロンの捕囚民は、キュロス王によって解放される。エルサレムに帰還してペルシャ王国の支配下で祭儀共同体を復興、ユダヤ教団の設立。
- 紀元前301年、198年にそれぞれプトレマイオス朝、セレウコス朝と宗主国が入れ替わる。
- 紀元前142年、ユダヤ人のハスモン朝が支配する。
旧約聖書の最後の記述は、紀元前200年以降であり、著者はこの頃に「コヘレトの言葉」が書かれたと考えている。
コヘレトの時代は、ユダヤ人社会は不安定で、否定的なものの見方をするのもうなずけるのではないでしょうか。・・・中略・・・・「箴言」の時代は、正しく生きていれば報われる社会でした。しかし、コヘレトの時代には、平和的な時代の応報思想は通用しません。神を信じたからといって、豊かになる保証はない。それどころか、明日の命さえ危ういような、先を見通せない時代。これからをどう生きるかについて考えたのが「コヘレトの言葉」や「ヨブ記」だったのです。(抜粋)
この後、著者のコヘレトの言葉とのかかわりについて書かれている。これについては、『コヘレトの言葉を読もう』の「あとがき 「コヘレトの言葉」と私」を参照。
安定したソロモン王の時代に書かれた「箴言」では、因果応報的な思想でもよかったが、バビロン捕囚後の混乱した時代に書かれた「コヘレトの言葉」や「ヨブ記」では、楽観的な考え方は通じない。しかし、そこでどう生きるかをコヘレトは、考えたのだということだと思う。(つくジー)
関連図書:小友 聡 (著) 『コヘレトの言葉を読もう 「生きよ」と呼びかける書』 日本キリスト教出版局 2019年
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