「土に生きる」(その2)
坂口哲啓『書簡で読み解く ゴッホ』より

Reading Journal 2nd

『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』 坂口哲啓 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第3章  土に生きる――ニューネン・アントウェルペン(後半)

このころゴッホは、農民の絵を多く描いき、そして有名な「馬鈴薯を食べる人びと」を描いている。
ニューネンでデ・グロート家の人々を一人一人描いていたが、この家族を総合した絵を描きたいと思うようになる。そして、なみなみならぬ決意を持って、創作に打ち込んだ。そしてできたのが「馬鈴薯を食べる人びと」である。しかし意外にも著者は、この絵をあまり評価していない。意気込み強すぎてそれまで描いていた農民の自然な共感が失われていたというのだ。

絵画は、というより芸術作品というものは実に難しいものだ。作品の完璧さを狙いすぎると、それがかえって作品から生命力を奪ってしまうし、自然なありのままを出そうとしてそれを狙えば、かえって自然さが失われる。要するに、作り手が意図や狙いをもって、自分の思い通りに作品を支配しようとすると、その結果、自分ではどんなに完璧にできたと思っても、なにかしらぎごちなさが作品に入り込んでしまう。(抜粋)

一八八五年、ゴッホの父が亡くなる。そして、その後も母や妹と折り合えないため、近所に借りたアトリエに住むことになった。その時期もゴッホは、農民の絵を描いている。著者は、ここで何枚もの図版を使ってその農民の絵について説明している。そして、このように批評している。

この三作品を見ただけでも、フィンセントが農民たちの姿を的確に捉え、多様な労働に励む彼らの身体の動きとそこに充溢する生命力を、どれほど生き生きと表現しているかがわかる。農民たちの姿に心を奪われ、共感するフィンセントのチョークやペンや絵筆は、小手先の技術を越え、土に生きる農民たちの動きそのものになっている。ミレー作品について語られた言葉で、フィンセントが手紙の中で好んで引用している言葉を借りれば、この農民たちの絵は、「彼らが種まきをしているその土で描かれている」かのようだ。(抜粋)

ニューネンでの滞在が二年近くなった一八八五年、近所とのトラブルも抱えるようになっていたゴッホは、アントウェルペンに転居する。
アントウェルペンでのゴッホの作品は、それほど多くなく、質もあまり良くない物だった。しかし、この土地でゴッホは、美術学校に入り、初めてアカデミックな技法を学んでいる。しかし、ここでもゴッホは、教師たちと対立してしまう。

美術学校での勉強は、フィンセントに、アカデミックな美術教育がいかなるものかを教えたという点では意味はあるが、彼の画業にはほとんど影響を与えなかった。むしろ、彼は、学校で絵を教えている教師も、その指導を受けている生徒たちも、おしなべて凡庸あることに呆れ、これまで積み重ねてきた自分のやり方に自信を深めた。(抜粋)

この時期、ゴッホに影響を与えたのは、ルーベンスの絵を見たことと浮世絵に出会った事である。

アントウェルペンの滞在中にゴッホは、何度もパリに出たいとテオへの手紙に書いている。そして、一八八六年、テオが迷っているうちに、にパリに行ってしまう。

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