「暗い青春」(その2)
坂口哲啓『書簡で読み解く ゴッホ』より

Reading Journal 2nd

『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』 坂口哲啓 著 
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第1章  暗い青春――画家を志すまで(一八五三年三月~一八八〇年六月)(後半)

書店員、神学部受験
ここでゴッホは、いったん書店員として働くが、宗教への情熱にとらえられた彼は、仕事に身が入らず、ここも去ることになる。この時、ゴッホは、自分も祖父や父と同じように牧師となる思いが強くなり、アムステル大学神学部を目指して受験勉強を始めた。しかし、その受験勉強は困難を極めた。著者は、この時でもゴッホの心には絵画へ愛情が深まっていたと指摘している。

彼は勉強をしながらも、絵のことを忘れることができない。受験勉強開始から四ヶ月ほどたった九月半ばのテオ宛の手紙の一説。
「今週はメンデスが街にいない。(・・・・・)そこで、暇ができて、トリッペンハイスにあるレンブラントの銅版画を見にいきたいという宿願を果たすことができた。今朝、見にいったが、願いがかなってうれしかった。」(書簡110)(抜粋)

しかし、一年二か月後、ゴッホは受験勉強を放棄してしまった。

著者は、ここで『フリエ』という作品に対するゴッホの評価のエピソードやその書簡から、ゴッホの絵の特質について次のように論じている。

ここで述べられている美醜に対する価値判断は極めて重要である。フィンセントは人間の外見の美しさにまったく興味を示さない。彼がみつめているのは、容貌の美醜でも若さや老いでもなく、人間の内にある魂の姿なのである。絵画を見るときの、この価値基準の独自性は、誰から教わったものでもなく、生来の彼の人間性に由来している。ここでも、フィンセントが本来持っている宗教的・倫理的資質が、どういう作品を価値あるものとするかを判断するにあたって、決定的に重要な役割を演じているのである。(抜粋)

伝道師
その後、ゴッホは、伝道師養成学校に入学した。伝道師とは牧師よりも格下で、もっぱらキリストの福音を伝道することのみを任務とする役職である。しかし、三ヶ月の研修期間を終了してもゴッホには、伝道師の資格が与えられなかった。
伝道師の資格を得られなかったが、彼は自費でベルギー南部の炭鉱がある街に赴き伝道活動を開始する。そして、ブリュッセルの伝道師委員会に手紙を書いて、やっと半年の伝道活動ができる仮免許を獲得した。月給は五十フランであった。
ゴッホのここでの伝道活動は、熱心さのあまり常軌を逸したものだった。

彼は、こうした劣悪な環境で暮らす労働者たちと親しく交わり、文字通り彼らと苦楽をともにした。説教をしてキリストの福音を伝えることはもちろんのこと、病人を見舞い、けが人の世話をし、自分が所有するものは、服でも、靴でも、家具でも、ベッドでもほとんどすべてのものを与えてしまった。(抜粋)

そして六か月後、このような行動が災いして伝道師の仮免許は更新されなかった。

伝道師の資格を失ったゴッホは、伝道師委員であるピーテルセン牧師に相談し、自費で仕事を続けられるようにポリナージュのキュエムを紹介してもらいそこで仕事をしている。
ここでゴッホは、献身的に働きながらも徐々にその軸足は、絵画のほうに移っていった。

今、伝道師資格を失って、フィンセントはまたゼロ地点に戻った。今度こそ間違うことなく画家の道に進もう。フィンセントのここまでの人生は、まさにリセットの繰り返しであった。彼は三度目の正直ならず七度目の正直で、自分の人生を画家の道へとリセットする。(抜粋)

ゴッホッは、この決意を弟のテオに相談した。しかし、テオはその決意に反対しもっと現実的な道に進むようにゴッホを諭す。テオの助けがなければ画家の道は不可能だった。この後、やく十か月の間、ゴッホとテオの書簡も途絶えたのだった。
その後、結局ゴッホは、一八八〇年にまた家族のもとに帰省が、また父親との間でもめ事が起きてしまう。

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