『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』 坂口哲啓 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第1章 暗い青春――画家を志すまで(一八五三年三月~一八八〇年六月)(前半)
第1章はゴッホが画家を志すまでの二十七年間を概観する。著者は、ゴッホを単に天才という事に違和感を覚えるという。
私が、ゴッホを天才と呼ぶことに違和感を覚えるのは、天才というのは、この世に生れ落ちた瞬間から歩む道が決められていて、なんの迷いもなくその道を選んでいく人、というイメージがあるからだ。その点から見ると、ゴッホは自らの才能を自覚するまでにさまざまな回り道をし、七回も人生をリセットして、二十七年かってやっと自分の本当の道を見出した。(抜粋)
それでは、ゴッホの画家になるまでの二十七年間を読み進めようと思う。
幼年時代
ゴッホは、一八五三年に牧師の家に生まれた。ここでは、ゴッホの血縁関係と幼年時代のエピソードが書かれている。特に重要なのは、ゴッホと同名の伯父である。彼は画商として成功し、彼のおかげでフィンセント及び弟のテオがグーピル商会に就職することができた。
フィンセントとその血縁関係にある人たちを見てすぐに気がつくのは、牧師と画商を生業とする者が多数いるという事である。このことはやがて、フィンセントの将来にも密接な関係を持ってくる。(抜粋)
グーピル商会
ゴッホは、中学を中退した後、伯父の紹介により美術商グーピル商会で働き出す。当初ゴッホは、熱心に働き評判も上々であった。そして、弟のテオもグーピル商会で働きはじめ、このころに彼らの間で生涯にわたって続く手紙のやり取りが始まった。
しかし、グーピル商会で、いろいろな絵と接しているうちにゴッホの審美眼は、どんどん鋭くなり、当時グーピル商会で力を入れていた画家の絵が、凡庸で生気ない絵に感じられるようになった。そして、しだいに商売への情熱が失われていった。それを心配した伯父は場所が変われば気も晴れるだろうと、彼をパリ支店へ転勤させるが、パリでのゴッホは、下宿で聖書を読みふけり、ルーブル美術館やリュクサンブール宮に出かけて名画に浸る日々を過ごしていた。そして、二十三歳のゴッホは、グーピル協会を解雇されてしまう。
フィンセントはグーピル商会で働きながら、徐々に自分の中に確固たる自己の芸術基盤を作り上げていく。その意味でグーピル商会勤務は、フィンセントに、自分は将来どういう絵を描いていくべきなのかをはっきり悟らせたという点において、逆説的ではあるが大きな意味を持つ。(抜粋)
補助教員、見習い説教師
グーピル商会を解雇された後、ゴッホは、イギリスに渡り補助教員や見習い説教師をしている。この見習い説教師の時に、彼は初めての説教をしている。この時代に、ゴッホはキリストの福音を広めるのが自分の使命だと確信したと著者はいっている。
パウロ書簡をはじめとして聖書を熟読したフィンセントが心に強く抱いたのは、人間のこの世の生は常に悲しみに満ちており、そして、二十三歳の彼はその確信をまず、言葉で人々に伝えようとするのである。牧師となってキリストの福音を言葉で広めていくことこそが、天から自分に与えられた使命だ、と彼は信じ始めるのである。(抜粋)
しかし、見習い説教師の俸給は安く、オランダに戻り書店員に転職している。
コメント