『書簡で読み解く ゴッホ――逆境を生きぬく力』坂口哲啓 著 藤原書店 2014年
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
はじめに――今、なぜゴッホなのか
ちょっと前に、気になって買った本である。ゴッホ関係の本は、昔々藤村 信の『ゴッホ 星への旅』(上)(下)、[岩波新書]を読んだことがある。それ以来のゴッホ関連の本かな?
本書は、ゴッホの書簡を頼りにその絵画と人生をたどっている本である。
「はじめに」の最後の注記にあるように、書簡は、『ファン・ゴッホ書簡全集』(全六巻)みすず書房 および 『ファン・ゴッホの手紙』みすず書房を使用している。図版のキャプションは、ヤン・フルスカー編著『ヴァン・ゴッホ全画集』講談社に基づいているとの事である。
口絵に16枚のカラー図版があり、本編中にも多くの図版が載っている。
要旨をまとめる本でもないので、気に入った部分を抜き書きしながら読んでいこう!
今日のところは、「はじめに」である。ここでは、まずゴッホの生涯を概観した後、著者の思い、「なぜゴッホを書かずにいられなかったか」を語っている。
これほど多くの傑作群を目の前にしたときに、私たちを襲う深い感動。その感動はどこから来るのだろうか。その理由を、私は本書を通じて解明したいと思う。(抜粋)
著者は、この感動の秘密は、二つにキーワード<悲しみ>と<共感>にあるとする。
臨終の床で、彼が弟に言った最後の言葉は「悲しみは永遠に続く」というものだった。そんな彼に、他者、とりわけ、社会の底辺に生きる人びとに、限りない共感を寄せる愛の人でもあった。(抜粋)
ゴッホも困難な生活の中で、それに負けずに次々と作品を残していった。著者は、その「清い魂」とパワーに私たちは圧倒され、感動するのだと言っている。そして最後に、このように言って締めくくる。
それではこれから、<悲しみ>と<共感>を創造のエネルギーとするゴッホの作品と、それを生み出したゴッホというひとりの絵描きの魂の旅に出てみたい。(抜粋)
関連図書:ファン・ゴッホ (著), 二見 史郎 (翻訳)『ファン・ゴッホ書簡全集』全六巻、みすず書房、1969- 1970年
:ファン・ゴッホ(著)二見史郎、圀府寺司(編訳)『ファン・ゴッホの手紙【新装版】』、みすず書房、2017
:ヤン・フルスカー編著『ヴァン・ゴッホ全画集』、講談社
目次 はじめに――今、なぜゴッホなのか [第1回] 序章 宗教的な、あまりに宗教的な――予備的考察 [第2回] 浄い魂 自画像のもつ宗教性 ゴッホ作品を貫く三角形 第1章 暗い青春――画家を志すまで(一八五三年三月~一八八〇年六月) [第3回]、[第4回] 幼年時代 グーピル商会に就職 グーピル解雇 補助教員と見習い説教師 書店員、そして牧師を目指す 伝道師となる テオとの軋轢 第2章 画家として立つ――ブリュッセル・エッテン・ハーグ・ドレンテ [第5回]、[第6回] テオの援助 修業開始 エッテンに帰る ケーへの愛 クリスマスの大喧嘩 シーンとの出会い 民衆の顔 風景を描く シーンとの別れ ドレンテへ 第3章 土に生きる――ニューネン・アントウェルペン [第7回]、[第8回] 毛むくじゃらの犬 実の父と心の父 テオに対する敵意 『機を織る人』連作 テオとの協定 農民の顔と『馬鈴薯を食べる人びと』 百姓=画家 アントウェルペンへ 第4章 面白うてやがて悲しき……――パリ [第9回]、[10回]、 再会 エミール・ベルナールとの出会い タンギー親父との交流 印象派との出会い モンマルトル 自画像 第5章 精神の高揚と墜落――アルル・サン=レミ [第11回]、[第12回]、[第13回] 空気の明るさを求めて 芸術家vs普通人 アルルの陽の下で 夜の光 ゴーガンとフィンセント 『自画像』と『子守女』と『蝶の舞う花咲く庭の片隅』 サン=レミ療養院で 賞賛されることの苦痛 終章 種をまきおく――オーヴェール [第14回] 医師ガシェとの出会い 教会の悲しみ フィンセントの死 種をまきおく あとがき [第15回] 参考文献 フィンセント・ファン・ゴッホ年譜 ゴッホ関連系図 絵画作品名索引 人名索引
コメント