『作家の仕事部屋』 ジャン=ルイ・ド・ランビュール 編
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
フランソワーズ・サガン – 書くこと、それは自分をわすれようとすることです
フランソワーズ・サガン (Françoise Sagan) は、十八歳の時に発表した『悲しみよこんにちは』で一躍有名になった作家である。彼女の作品はすべて邦訳されている。彼女の作品は《欠落》ないし《不在》をめぐるフィクションと言える。
仕事の方法
あなたの質問には、なにかとても難しいことが含まれています。書くこと、それは自分を忘れようとすることなんです。(抜粋)
一冊の本というのは、それは、乳と血と神経と郷愁・・・つまり人間関係からなっている。書く方法というのは、時間や外界の生活との折り合いのつけ方以外の何物でもない。
作家にとって仕事の方法とは、突然インディアンに襲われた時のような、緊急避難ないし戦術的退却である。一番の敵は、白い紙である。自分が手で書くときは絶対に太く書けるもので書く。
長い間タイプライターを使って書いていた。あるとき骨折してうまくタイプができなくなったときに口述筆記を行った。口述筆記はテクストの調子を耳で聞けるため時間の節約になる。秘書は無口な人であったが、自分は周囲の空気の変化の一つひとつに敏感なため、紙のこすれる音や煙草をつける音とかのたびに、興がそがれてしまった。
この職業の魅力のひとつは、毎日仕事をしなくっても良いということである。仕事をしなくても退屈はしない。出版社の理解があり一年間は書かなくてもいられる。
しかし、アイデアが浮かんだときは、本能的に毎日ほぼ同じ時間に仕事をする。パリならば夜、田舎ならば午後である。そして一旦タイプライターにむかうと夕食の時間も忘れてしまう。
また、仕事はほとんどどこでもできる。ベンチでも木の根元でも旅先でも、そして、仕事場の雰囲気は、書くものに全く影響しない。ただ、仕事をしようと思っても難しいだろうと思うのはカフェである。うるさいからでなく周りに興味深いものが多すぎるからである。
小説の創造について
自分にはあまり観察眼がない。
小説家にとって観察が大事だと本当に思いになる?私はむしろ小説家は自分の記憶や固定観念のなかに素材を見つけるものだと思います。私にとって創造力こそがもっとも重要な能力なのです。(抜粋)
登場人物に実在の人間から想を得た人物はいない。
ある物語の着想を得た時の私は、いわば妊娠した女のようなのです。始終子供のことを考えているわけではありませんが、時々お腹を足で蹴られて、子供の存在を思い出される。(抜粋)
物語が生まれる最初は、あるテーマに取り憑かれる。そしてそのシルエットが徐々にはっきりしてきてパルテル画のようになってくる。そして他の人物が浮かんでくる。その人物がうるさくなったとき、やっと書きはじめる。問題は適当なペースを見出すことで、うまくいけば一日にタイプで三頁ないし十頁進む。推敲はほとんどなし、一種の衝動に駆られて書いている。
プランについては決して立てない。小説はどこに連れていかれるか分からないまま、沢山の人々と一緒に出掛ける楽しみである。
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