『論語入門』 井波 律子 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第二章 考え方の原点(その2) — 1核となるキーワード — 「仁」 誠実な思いやり
今日のところは、「第二章 考え方の原点」の“その2”である。“その1”では、「君子」について学んだが、ここでは、「仁」についてである。それでは読み始めよう。
「仁」 — 誠実な思いやり
No.36
子曰く、仁遠からんや。我れ仁を欲すれば、其に仁至る。(述而第七)(抜粋)
先生は言われた。「仁は遠いところにあるものだろうか。いや、自分が仁を求めさえすれば、仁はたちまちここにやってくる」。(抜粋)
まず「仁」とは、「誠実な思いやりや人間愛など、さまざまな要素を包括した大いなる徳義」である。しかし、孔子はこの仁が高邁で手が届かないものではなく、自分が体得したいと思えば、仁の方からやってくるんだよ、と弟子たちに教え励ましている。
No.37
子曰く、剛毅木訥、仁近し。(子路第十三)(抜粋)
先生は言われた。「剛毅で朴訥な人は仁に近い」(抜粋)
まず「剛毅木訥」とは、「心根がきっぱりとして強く、かざりけがないこと」をいう。そのような人は、仁に近いと孔子は言っている。
これはNo.34の「君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す」にも通じ、さらに孔子は「巧言令色、鮮し仁(巧妙な言葉づかい、とりつくろった表情の人間は真情に欠ける)」とも言っている。
No.38
子曰く、惟だ仁者のみ、能く人を好み、能く人を悪む。(里仁第四)(抜粋)
先生は言われた。「仁を体得した人だけが、真に人を好み、人を憎むことができる」。(抜粋)
しかし、孔子は、仁者のことをただ無差別に愛情をふりまく人ではなく、品性下劣な人間を憎んで厳しい態度で望む、としている。
著者は、この言葉を冒頭の条(No.1)「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」とも響きあうと評している。
No.39
子曰く、人の過つや、各おの其の党に於いてす。過ちを観れば、斯に仁を知る。(里仁第四)(抜粋)
先生は言われた。「人が過失をおかすのはそれぞれの類による。過失を見れば、その人の仁のほどがわかる」。(抜粋)
この条には多様な解釈があり、ここでの訳は、南宋の大儒学者朱子の解釈のものである。朱子の考えでは、人の過失は「党類(範疇、カテゴリー)」によって生じる(君子・・・思いやりが深すぎて、小人・・・薄情なため)。そのため、過失をみれば、その人が仁であるか、不仁であるかわかる、という解釈である。
また荻生徂徠は、「党」を「郷党(地域社会)」と解釈し、「人(住民)が過失をおかすのは、それぞれの地域社会の影響による」と読み、住民の過失をみると、その地域の支配者(君主)の仁のほどがわかると、理解した。
No.40
子貢曰く、如し博く民を施して、能く衆を済うもの有ば、如何。仁と謂う可きか。子曰く、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯瞬も其れ猶お諸を病めるか。夫れ仁者は、己立たんと欲して人に立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬えを取る。仁の方と謂う可きのみ。(雍也第六)(抜粋)
子貢は言った。「もし広く民衆に恩恵をほどこし、民衆を救済することができれば、どうしょう。仁というべきでありましょうか」。先生は言われた。「それは仁どころではない。聖人でなければできないことだ。いや、堯・瞬のような聖人でさえ、やはりむずかしいことだ。そもそも仁者は自分が立ちたいと思えば、まず人を立たせる。自分が到達したいと思えば、ます人を到達させる。(何か他人にしようとするときは)自分の身にひきつけて考えてから始まる。これこそ、仁を実践する方法だ」。(抜粋)
これは、弟子の子貢が仁を遠大なものと捉えた質問に対して、孔子が語った言葉である。孔子の仁は、そのようなものでなく「他者との共生をめざすもので、他者を尊重し、誠実な思いやりや愛情を人々に及ぼしてゆくもの」である。
このような考え方は、本節冒頭のNo.36「仁遠からんや。我れ仁を欲すれば、其に仁至る。」とも通じる。
No.41
宰我 問いて曰く、仁者は之れに告げて、井に仁人りと曰うと雖も、其れ之れに従わんや。子曰く、何為れぞ其れ然らんや。君子は逝かしむ可き也、陥らしむ可からざる也。欺く可き也。罔可からざる也。(雍也第六)(抜粋)
宰我が質問した。「仁徳をもつ人は、誰かが「井戸のなかに人が落ちた」と言われたら、すぐに飛びこむでしょうか」。先生は言われた、「どうしてそんなことをするものか。仁徳のある君子は、そこ(井戸のほとり)まで行かせることはできるが、飛び込ませることはできない。君子はだますことはできるが、見境もなくさせることはできないのだ」。(抜粋)
これは、弟子の宰我の意地悪な質問に孔子が答えたものである。孔子は、宰我の質問に「仁徳をもつ君子は、そんなウソをつかれても、井戸のほとりまでは行ってはみるが、前後の見境なくとびこんだりはしないよ」と答えた。誠実で真っ当な人間は、慎重に状況を判断したうえで行動するとしている。
孔子は行動における果断さをよしとしたが、「暴虎馮河(虎と素手で闘い、大河を徒歩わたりをする)」という無謀さは否定している。
No.42
子曰く、知者は惑わず。仁者は憂えず。勇者は懼れず。(子罕第九)(抜粋)
先生は言われた。「知性のある人は迷わない。誠実な思いやりをもった人は悩まない。勇気のある人は恐れない」。(抜粋)
孔子は、知者、仁者、勇者の特性を兼ね備えることを理想としていた。
他の箇所にも「子曰、君子の道なる者三つ、我れ能くすること無し。仁者は憂いず。知者は惑わず。勇者は懼れず。子貢曰く、夫子自ら道う也」(憲問第十四)と言っている。ここで孔子は、「君子が実践しなければならない生き方は三つあるが、自分はどれもできない」と言っている。
さらに孔子は、この知者と仁者を比較して「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は、動き、仁者は、静かなり、知者は楽しみ、仁者は、寿し」(雍也第六)とも述べている。
No.43
子は罕に利と命と仁とを言う。(子罕第九)(抜粋)
先生はめったに利益、運命、仁徳について語られなかった。(抜粋)
この条にもさまざまな読みた解釈がある。この訳は伝統的な役である。『論語』には「利(利益)」や「命(運命)」についての言及はほとんどないが、しかし「仁」はしばしば言及している。ただ孔子が仁に言及するときは、仁のあらわれ方が主で仁の定義ようなことは、語らなかった。そのため弟子たちはめったに語らないという印象を持ったのかもしれない、としている。
また、別な解釈として荻生徂徠などは、文章を途中で区切り「子は罕に利を言う。命と与にし仁と与にす。」(先生はめったに利益について語られなかった。語られた場合は運命や仁徳と関連づけられた)」と読んだ。
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