「君子」 — 考えかたの原点(その1)
井波 律子 『論語入門』より

Reading Journal 2nd

『論語入門』 井波 律子 著
 [Reading Journal 2nd:読書日誌]

第二章 考え方の原点(その1) — 1核となるキーワード— 「君子」 徳は弧ならず

今日から「第二章 考え方の原点」に入る。ここでは、第1節 「核となるキーワード」で孔子の「君子」や「仁」などのキーワードごとの条が選ばれて紹介される。そして第2節「政治理念と理想の人間像」で孔子の政治理念や理想の人間像を学ぶ。

第二章は、まず「君子」「仁」などのキーワードごとに分け、さらに最終節1つとし、全部で6つに分けてまとめるとする。それでは読み始めよう

「君子」 — 徳は弧ならず

No.27

子曰しいわく、まなんでときれをならう、よろこばしからず朋有ともあ遠方自えんぽうよたる、亦楽またたのしからず人知ひとしらずしていからず、君子くんしならず。(学而第一)(抜粋)
先生は言われた。「学んだことをしかるべきときに復習するのは、喜ばしいことではないか。勉強仲間が遠方から来てくれるのは、楽しいことではないか。人から認められなくとも腹をたてない。それこそ君子ではないか。(抜粋)

これは、二十巻からなる『論語』の開巻「学而がくじ第一」の冒頭を飾っている言葉である。

この言葉を踏まえて、著者は「君子」という言葉はもともと上流階級に属し、美的・倫理的修練を積んだ人物を指すが、孔子の描く君子像は階級を超えて、より広がりを持っていることを注意している。

No.28

子曰しいわく、ひとおのれらざるをうれえず、ひとらざるをうれうるなり。(学而第一)(抜粋)
先生は言われた。「自分が人から認められないことは気に病まず、自分が人を認めないことを気に病む」。(抜粋)

この言葉は、『学而第一』の最後の言葉である。ここで『学而第一』の冒頭の人知ひとしらずしていからず、君子くんしならずとこの最後のひとおのれらざるをうれえず、ひとひとらざるをうれうるなりが見事に円弧を描いている。

この条では、自分が認められないことを気に病むのではなく、他人を認めることができないことを気に病む、としている。この点について著者は、受動的な発想を主体的な発想に逆転させていて、孔子の精神の強靭さがうかがえるとしている。

No.29

子曰しいわく、ひとおのれらたざるをうれえず、不能ふのううれうるなり。(憲問第十四)(抜粋)
先生は言われた。「人の自分を認めないのは気に病まないが、自分が無能であることを気に病む」。(抜粋)

この条では、世間から認められないことよりも、自分が無能であることに気を病むと言っている。前条と同じくここでも、他人の評価ではなく自己認識の大切さを説いている。

また、孔子は君子くんし無能むのうなやみとす。ひとおのれらざるをなやみとせざるなり衛霊公えいれいこう第十五)とも言っていて、これも同じ意味である。

ここで著者は、孔子は世間に認められないことを問題でないと強調するが、世間に背を向けて孤高であることが君子の条件と言っているわけではない、と注意をしている。全力を尽くして学び生きても、残念ながら認められないこともあるが、そんな場合でも悲観せずに、堂々と学び生きよと言っている。

No.30

子曰しいわく、位無くらいなきをうれえず、所以ゆえんうれう。おのれきをうれえず、らるきをすをもとむるなり。(里仁第四)(抜粋)
先生は言われた。「地位のないことを気に病まず、地位にふさわしい実力がないことを気に病む。人が自分を認めてくれないことを気に病まず、認められるようなことを成し遂げるよう心がける」。(抜粋)

この発言には、ひたすら努力し実力を磨けば、必ず他人や社会に認められるという、孔子の楽観主義がある、著者は言っている。

No.31

子曰しいわく、君子くんししゅうしてせず。小人しょうじんしてしゅうぜず。(為政第二)(抜粋)
先生は言われた。「君子は誠実さと節度をもって人と交わるが、なれ親しむことはない。小人しょうじんはなれ親しむが、誠実さと節度をもって交わらない。(抜粋)

君子がもともと上流階級に属する立派な人を表すのと同じように、小人ももともとは、低い身分階級に属し芳しくない性向を持つ人のことを表した。しかし、孔子の小人は階級にかかわりなく品性の下劣な人を表す場合が多い。

ここで

  • 「周」:人との交際において、誠実さと距離を置いた節度を保ちながら親しくすること
  • 「比」:誠実さも節度もなく、べたべたと親しむこと

という意味である。

ここで著者は、儒家と対立する道家の荘子そうしもまた君子くんしまじわりはあわきことみずごとく、小人しょうじんまじわりはあまきことれいごとし。君子くんしあわくしてもっしたしみ、小人しょうじんあまくしてもったつ(君子の交わりは淡々として水のようだが、小人の交わりはべたべたして甘酒のようだ。君子は淡々として親しみを増し、小人はべたつくくせに、すぐに絶交する)」(『荘子』山本篇)と言っていて、小人の交わりを嫌悪する点では、儒家も道家も変わらないと言っている。


ちなみに、荘子については、同著者の『故事成句でたどる楽しい中国史』ココを参照。(つくジー)

No.32

子曰しいわく、君子くんししてどうせず。小人しょうじんどうしてせず。(子路第十三)(抜粋)
先生は、言われた。「君子は人と調和するが、みだりに同調しない。小人はみだりに同調するが、調和しない」。(抜粋)

これも君子と小人を対比させた言葉である。ここで

  • :自分の考えや意見をしっかり保ちながら、人の考え方や意見を尊重し、調和すること
  • どう:相手の顔色をうかがい、やみくもに同調すること

No.33

子曰しいわく、君子くんしひとし、ひとあくさず。小人しょうじんれにはんす。(顔淵第十二)(抜粋)
先生は言われた。「君子は他人がよいことをするのは助けるが、わるいことをするのは助けない。小人はその反対である」。(抜粋)

これも、君子と小人の対比である。ここで著者はこのような配慮は普通の人にとっても、心すべきポイントであるとし、さらに、孔子のいう「君子」は、けっして人間の及びのつかない超人ではなく、誰でも努力すれば達することができるコモンセンスを持ったまっとうな人であると評している。

No.34

子曰しいわく、君子は言にとつにして、おこないにびんならんことをほっす。(里仁第四)(抜粋)
先生は言われた。「君子は口下手であっても、行動は敏速でありたいと願う」。(抜粋)

ここで「とつ」は、訥弁、つまりつっかえながらしゃべる口下手をいう。孔子は、能弁を否定しているわけではなく、あくまでもべらべらしゃべるだけの口先人間を否定している。また孔子自身は、超一流の弁論術を駆使する話術の持ち主だった。

No.35

子曰しいわく、とくならず、かならとなりり。(里仁第四)(抜粋)
先生は言われた。「徳を体得した者は孤独ではなく、必ず隣人がいる」。(抜粋)

徳を体得した君子は、孤立無援にならず必ず身近に理解者がいるということである。

ここには、まっとうに誠実に生きてさえいれば、必ず認められ、友人や理解者もあらわれるという、孔子ひいては孔子儒家集団に顕著な、明朗な解放感がくっきりと映しだされている。(抜粋)

関連図書:井波律子(著)『故事成句でたどる楽しい中国史』 、岩波書店(岩波ジュニア新書)、2004年

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