『コヘレトの言葉を読もう 「生きよ」と呼びかける書』 小友 聡 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第2章 飲み食いし、魂を満足させよ
人間にとって最も良いのは、飲み食いし 自分の労苦によって 魂を満足させること。 (コヘレト2.24) [新共同訳]
食べて飲み、労苦の内に幸せを見いだす。 これ以外に人に幸せはない。 [聖書協会共同訳]
「コヘレトの言葉」は1章12節からコヘレトの一人称で語られる。
まず1章12節では、自分自身を「イスラエルの王としてエルサレムにいた」と語る。1章の表題で「エルサレムの王」で「ダビデの子」と紹介されているので、つまり、コヘレトは「ソロモン」ということになる。
ソロモンは、旧約聖書では「知者の権化」として知られ、「コヘレトの言葉」を含む知恵文学では、いずれもソロモンの作として権威づけられている。
第1章12節より「王の企て」が語られている。この「王の企て」は、次の4つの段落がある。
- 1章12-18節:ソロモン王が最高の知者であることに寄せて、知者の宿命を語る。
- 2章1-11節:ソロモン王が最高の富者であることに寄せて、富者の宿命を語る。
- 2章12-21節:ソロモン王がレハブアムを後継者としたことに触れて、「後を継ぐ者」への懐疑を語る。
- 第2章22-26:王の企ての結論
そして、いずれの段落でも「空しい」という懐疑的な結論に至っている。
第1章の主題は「満ちることのない世界」であったが、第2章の「王の企て」は「満たされない王」を語っている。
全ては完成に向かわず、満ちることがないという第1章にあった終末批判は、第2章の満たされない王の企てでも一貫しているのです。コヘレトはここでも終末論的な思想を徹底的に拒否します。そこで、この世界に終わりがないならば、人はどのように生きるべきかをコヘレトは真剣に考えるのです。(抜粋)
人間にとって最も良いものは、飲み食いし 自分の労苦によって魂を満足させること。 しかしそれも、わたしの見たところでは 神の手からいただいたもの。 (2.24) [新共同訳]
食べて飲み、労苦の内に幸せを見出す。 これ以外に人に幸せはない。 それもまた、神の手から与えられるもの と分かった。 [聖書協会共同訳]
これは、「コヘレトの言葉」に特徴的な節である。
コヘレトは、王の企てでも「空しい」、つまり人生は儚いと語っている。全てが短く儚い人生をどのように生きるのかという問いの結論がこの節である。
コヘレトは、短く儚い人生だからこそ、飲み食いのような日常の些事(さじ)が「最高に良いもの」になるといっている。
人生の短さ、儚さが、そのように日常の些事を最も良いものに変えてくれるのです。コヘレトはこの時間論的な逆説を語っています。世界と歴史の終末を否定し、これを切り返して、コヘレトは人間の終末において「飲み食いし」「魂を満足させること」を賞賛しているのです。(抜粋)
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