『日蓮 「闘う仏教者」の実像』 松尾剛次 著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第五章 身延山の暮らし(その3)
今日のところは、第五章のその3、前回その2では、日蓮が身延山で著した『撰時抄』『報恩抄』の解説がされた、それにつづいて今日のところその3では、『三大秘法抄』について解説される。「三大秘法」については前回の『報恩抄』でも触れられている。
また、この『三大秘法抄』は、日蓮仏教の達成を示す書とも考えられ、実際に第二次世界大戦前においては、『三大秘法抄』の政教一致的な部分が注目され、重要視された。また戦後に創価学会の国政進出の理論的な根拠ともなっている。しかし、一般的にはその政教一致的な側面が、政教分離の原則や信教の自由の観点から批判されている。また、真蹟本が無いため真偽論争があるが、ここでは日蓮の著作として分析をするとしている。
『三大秘法抄』
日蓮の最晩年弘安四年(一二八一)に書かれた『第三秘法抄』は正式名称を『三大秘法稟承事』といい、弟子の太田金吾(乗明)宛てに書いたものである。
三大秘法とは日蓮が末法の人びとを救う教えのエッセンスで、本尊、戒壇、題目の三つのことである。
- 本尊:成道(悟った)した久遠の昔からの絶対者である釈尊のこと
- 題目:自行のための理行(自己の悟りのための理論にとどまる行)の題目ではなく、自行利他(自分の悟りと他者の救済のための)題目のことである。
- 戒壇:従来は題目の場とされたが、事の戒壇のことである。
次に、『三大秘法抄』の内容の具体的な解説がつづく
冒頭
『三大秘法抄』は、『法華経』「神力品」を引用して、そこで「要を以て之を言わば(要するに)」何かという問いに答えることから始まる。(抜粋)
日蓮はその答えを、本門「如来寿量品」の本尊・戒壇・題目の五文字「妙法蓮華経」の三つ(三大秘法抄)であるとする。そしてこの秘法を釈迦は上行菩薩などの地涌の菩薩に説いたとする。
その仏は因果の道理を超越した絶対的な仏(本有無作の三身)であり、その場所は、常寂光土(最高絶対の浄土で、実はこの世)である。
第二問答
これらの秘法はいつ弘通されるのかと問われ、「第五の五百歳闘諍堅固白法隠没の時」と答えた(ココ参照)。
第三問答
秘法の弘通を末法に限るのでは、釈迦の慈悲が平等でないか問われる。
それに対して、それぞれの時期に「機法相応」(衆生と教えが合致すること)があり、末法においては、本門寿量品に限って生難生死の要法であるとする。
第四問答
第三問答についての証拠を仏典に提示する
第五問答
「三大秘法、その体如何」として本論に入る。
本尊
本尊については、絶対的な尊大である釈迦を本尊とする
題目
題目は正像(正法・像法)と末法の仏がある。
- 正像:自行のための「理行の題目」
- 末法:自行利他「事行の題目」、『法華玄義』(智顗)の名(名称)・体(本体)・宗(本質)・用(働き)・教(教説)の五重玄(奥深い道理)を具する
戒壇
この戒壇について従来は題目を唱える場と理解されてきた(末木文美士『日蓮入門』)。しかし、著者は、この戒壇を本来の意味である、戒律護持を誓う儀礼である受戒の場であるとしている。そして、三大秘法抄を引用して、日蓮が受戒した比叡山の戒壇を「理」にとどまった迹門の戒壇として批判し、本門の戒壇である「事」の(実践的・利他)の国立戒壇の建立を主張しているとしている。
そしてこの戒壇は、「(天皇の)勅命ならびに(将軍の)命令(御教書)を下して」とあるようい朝廷ならびに幕府も関与する国家的なものを構想していた。さらに、「三国ならびにこの娑婆世界のすべての人々」とし、インド・中国・日本のみならずすべての人々に開かれた戒壇であると考えていた。
以上のように『三大秘法抄』において、日蓮が構想した国立戒壇とは、朝廷のみならず鎌倉幕府も公認する国立の戒壇の場で、決して題目を唱える場ではなかった。『法華経』本門に基づく、自利利他(自分のみならず、他者救済)の事の戒壇であり、インド・中国・日本の三国のみならずこの娑婆世界のすべての人々に開かれた戒壇であった。また、受戒に際しては、梵天・帝釈天も降臨する場であった。(抜粋)
関連図書:末木文美士(著)『日蓮入門—現世を撃つ思想』、筑摩書房(ちくま学芸文庫)2010年
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