『日本仏教再入門』 末木 文美士 編著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第十五章 日本仏教の可能性 まとめ (その2)
今日のところは、「第十五章 仏教思想の可能性 まとめ」“その2”である。第十五章は、三人の著者によるそれぞれの観点からのまとめと日本仏教の可能性についてである。“その1”では、頼住光子が「共生」をキーワードにして日本仏教の可能性を示唆した。
今日のところ“その2”では、大谷栄一が近代仏教の視点から「地域寺院」という可能性について論じる。それでは読み始めよう。
2.近代仏教の視点から(大谷栄一)
第七章から第十章のまとめ — 日本の近代仏教史から見えたもの
近代仏教は、明治維新を起点としすでに一五〇年を超えている。そして、仏教の歴史から見ると、近代仏教の歴史は短いが、現代日本の仏教の認識は、「近代」仏教の影響を強く受けている。
ここではまず、大谷栄一が担当した七章から十章までの要点を振り返る。
- 第七章:近代仏教の定義の確認。近代以降の仏教は、個人の内面的な信仰に基ずくビリーフ(教義・信条)中心主義が見られる。ただし、ビリーフのみならずプラクティス(儀礼)の理解と、両者の関係も重要である。「近代仏教」は「伝統仏教」が近代化されたものではなく、近代以降も併存し、複雑な関係となっている。
七章~十章では、日本の近代仏教史が紹介された。
- 第七章:明治初年の神仏分離・廃仏毀釈への仏教界の対応から、近代日本の祭政教関係の制度化。
- 第八章:日清日露戦争間に仏教の近代化と呼ばれる新しい仏教の動きについて。
- 第九章:日本の近代仏教のグローバル化について。
- 第十章:日本仏教の社会活動の変遷について。
「寺院消滅」という危機
近現代日本社会で仏教は一定のプレゼンス(存在感)を持っている。しかし、日本をはじめとして先進国では、宗教の役割は低下しており、また、日本仏教においいてはイエ制度に依存した葬式仏教からどのように体質を変えることができるかが問題になっている。
日本社会は、「人口減少社会」であるとともに「超高齢多死社会」となっている。地方においては、「限界集落」や「地方消滅」が問題となっている。このような社会の変化は、寺院の存亡に直結する。無住寺院や兼務寺院が多くなり「寺院消滅」の危機となっている。
「地方寺院」という可能性
ここで、著者は「地方寺院」という概念を提起している。
社会学者の櫻井義秀は、現代寺院のあり方をBeingとDoingに区分した。Being型は、「地域社会に寺院があること」を意味し、地域の人々の安心感やコニュニティの連帯感に大きな影響を与えている。そして、Doing型とは、何かしら特別な実践をしていることである。(十章の「社会活動する仏教」(”その1”、”その2”、”その3”)は、このDoing型である)
日本の仏教寺院の多くはBeing型である。しかし、Doing型とBeing型は、両立することができ、近代以降の寺院活動は、法要儀礼などの宗教活動を行うとともに、子供会や婦人会などの社会活動も実践している。これはBeing型とDoing型が両立した「地域仏教」であり、このような「地域仏教」の宗教的・社会的役割が注目されてきている。この場合、檀信徒のみを対象とするのか、檀信徒以外の地域の人々に対してアプローチをして、地域全体の結び目となるのかが問われている。
地域の過疎化が進行する中でそれを食い止める役割を寺院に求めることは意味がないし、不可能であろう。ただし、衰退し、過疎化する地域社会の活性化に何らかの役割を求めることはできるのではないか、そうした役割や可能性を考えるうえで、日本仏教のこれまでの歩みを知ることは大いに参考になるであろう。(抜粋)


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