『日本仏教再入門』 末木 文美士 編著
[Reading Journal 2nd:読書日誌]
第十三章 神仏の関係 日本仏教の深層3(末木 文美士) (その2)
今日のところは「第十三章 神仏の関係」の“その2”である。前回“その1”において現代につながる宗教としての神道は、その近世後半の「復古神道」などの影響もあるが、基本的には近代に源流を持つことが説明された。
今日のところ“その2”では、時代を遡り、日本の古代の神道を神仏習合という観点から論じられる。それでは、読み始めよう。
2.神仏習合の形成
古代の神祇崇拝と神道
近代になって作られた国家神道は、それ以前の神道に基いているとはいえ、その重要な部分は近代になってからの創作であり、決して古代から続く信仰ではない。(抜粋)
このように著者は強調し、古代においては独立して神道と呼べるほどの宗教体系はなく、今日では、後代の「神道」と区別して神祇崇拝などと呼んでいると言っている。
『古事記』や『日本書紀』などに神話があり、ある程度神社のが確立していた。しかし当時の神道は「神に対する崇拝、あるいは儀礼」と言った意味であり、今日の独立した宗教体系ではない。
そもそも日本に仏教が伝わることで、土着の神々が自覚されるようになった。神々の信仰や儀礼は仏教との関係の中で初めて成立したということができる。
神仏習合の諸形態
日本の神々が自覚され、体系化理論化するのには、仏教の影響が大きい。
仏教徒の関係の中で最も古い形態は、苦しんでいる神が仏に救われるというタイプである。インドの神は仏教に取り込まれ、六道の「天」に位置づけられる。しかし「天」ははそこから落ちる不安があり、なおも苦しみの世界にいる。そこで仏に救済を求めるのである。そのため神社の傍らに神宮寺を置くことがなされるようになった。この事例はすでに奈良時代からある。
このように神々がその苦しみから脱すると、仏教の守護神的性格を持つようになる。例えば雷神インドラは仏教では帝釈天となる。そして日本の神のなかにもそのような性格をもつ神々があらわれる。
仏教のもとで日本の神々を位置づける理論がもっとも成熟したのが「本地垂迹説」である。これは、本地である仏・菩薩が、劣った辺境である日本の衆生を救うために神として出現したというものである。そのとき、日本の神に日吉は釈迦、伊勢は大日というように、個別に本地仏が定められた。
この本・迹の概念は『法華経』の解釈で中心的に用いられるものであるので、本地垂迹説も天台を通して形成されたと考えられる。
このように神仏習合と言っても、基本的には仏教優位であり、仏教のもとに日本の神々を位置づけていくというやり方が取られている。(抜粋)
仏教が日本に伝わったとき、日本の神々は体系的にも理論的にも不十分であり、仏教の理論を借りて自らの理論装備をした。それ故、仏教優位は当然であるが、むしろ日本の神々が完全に仏教に取り込まれず、ある程度の自立性を持ち続けたことが注目される。


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